カートボネガットとドレスデン、そして家族と国家

国のない男

国のない男

原発の状況はまさに国家と個人の関係を再考する為の状況に感じられる。

国が増税しようとしているが、そもそも、役人が多すぎるし、国家の予算は無駄使いがすぎる。
収入が無いのなら無いなりに支出を減らさなければならない。
こんな当たり前の事が出来無いのが今の国家である。

既得権益者の仕事は、既得権益を守る事だから厄介である。

政治が判断しなければいけない事だが、選挙で選ばれた奴隷にはそれは出来ないのだ。






小松左京さんの小説に「国家/税金」の起源を考えているものがある。
とても面白い小説だ「第二日本国誕生」と言う短編である。


小松左京さんは国家によって人生をメチャクチャにされた人々をとても沢山見ているから彼の小説の中にはそんな視線を見る事ができる。



近代国家というのは、フランス革命の時代に作られたフィクションである。
強力な兵力と敵を殺すことのできる兵士に市民を育てるノウハウ。
国家と言うフィクションを家族という現実とすり替えるノウハウ。

現在の「応報的司法」と言う概念と「修復的司法」と言う概念の対立の中にもそれは見て取れる。

既に僕らは国家と言う枠組みを除いて社会の仕組みを考える事すら困難である。

余りに多くの人々が国家の「既得権益者」になってしまっている。

僕はどうなんだろうか?
誰の為に働いているのだろうか?


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こんな紙切れで家族から切り離さされて、誰かの家族の一員を殺しに行くのだ。



カートボネガットさんは世界が一つの家族なら良いのにと語っている。
僕も賛成である。

国家より強い家族と言う絆。それを国家と言うフィクションにすり替えて行くのだ。
もう一度、その国家と言う枠組みを超えて家族と言う絆にすり替えることができればいのだが。
ネットがそんな夢を叶えてくれると良いのだが。

イスラム教とキリスト教の対立と言うのだって、作られた物だ。
世界の富の多くのものを握る連中に取って一番怖いのは、全世界の貧乏人が団結する事である。

分割して統治する事、彼らの最高の技である。



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二次大戦の時に兵士の発砲率は20%程度だったのがベトナムでは95%にアップしたと言う。デーヴ・グロスマン「戦場における人殺しの心理学」


国家は効率的に人殺しを行い兵器を消費させる。
兵士の命を燃料にして、企業は儲けて行くのだ。





父の実家の写真である。



母の実家の写真である。



家族を護りたい気持ちは、家族と言う体験が「国家」と言うフィクションにすり替えられていくのだ。




やがて、その家族的なつながりは企業に埋め込まれて行く。
僕のオヤジが50年以上勤めた大平洋金属の写真である。


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