いかに原発を殺すか:『それ見た事か』と言われるのは気持ちよくない。

原発を推進したい電力会社は、マスコミを操りイメージ操作をして来た。

推進=現実的、大人、酸いも辛いも分っている。
反対=理想的、子供、世の中の事を分っていない。

原発が危険だと言う事を幾ら言っても、原発労働者が被曝して死んで行っていると幾ら言っても見ようともしないし、聞こうともしなかった。


電力会社は、そんな世論操作と同時に「電力供給の独占」「原子力発電所の建築」「総資産(投資)の増大」「政権への協力」「マスコミへのPR費のバラマキ」が行われて来た。

結果として、原発依存をしている市民の数が増えて行った。


だれでも、自分が間違えていた事を指摘されるのは面白くない。
だから、原発反対派の人は賛成派の人を傷付けないように振る舞わないとなあ。


推進派と反対派と言われる二つの考え方は、一番基礎になっている考え方の違いが生んでいた。
「絶対に安全だ」と「事故はいつか起こるのだから安全ではない」という違った前提から議論して来た。


もう同じ前提に立てると思う。
そして原発依存と言う病にかかった社会をいかに治療して行くか考えなければならない。

一つの原発を潰すと言う事は、どれだけの雇用を失わせるのか?
どれだけの補助金を打ち切る事になるのか?
どれだけのテレビ番組のスポンサーから下りる事になるのか?

地域の財政=補助金無しでは運営出来ない様な「箱もの:立派な体育館や文化施設」をいかに維持して行くのか?
いっそ壊してしまった方が良いかもしれない。



エネルギー政策の変換で破壊された北海道の「夕張」という町を思い出す。


1980年代にサッチャーは石炭から油田にエネルギー政策をシフトして多くの炭坑が閉山された。
同じ事をこれからしなければならない。

当然アメリカの核燃料マフィヤ、世界の最終処分場としての六ヶ所村、それらを牛耳るIAEAは反対するだろうなあ。

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かくいう僕も、原子力の金を受け取ったことが有る。




僕も、20年以上昔、東海村、動燃の「もんじゅ」の燃料を作っている施設でプログラムを作ったことが有る。
プルトニュウム燃料を作る過程の日報を作るシステムだったが、あんな田舎でこれだけの人が働いているのか〜と驚いた物だ。
また、宿から施設までは、誰が使うのかと思わせる様なコンサートホールや体育館が並ぶ道路はメチャクチャ奇麗だった。

施設内の食堂の定食がまずくて驚いたが。

後にJOC東海村臨界事故が起こる施設の近くだったと思う。

その時の売上は400万円で何とも気前の良い会社だと思った。
その後僕は会社を辞めて、3本くらい受注したと聞く。

もんじゅ」の事故で作られた燃料は使われなかったはずである。




あの金は、皆が払っている電位料から出ているのだと思うと、「電気代」というのは、凄い金額が流れているのだ。



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こんな事故が無かったら誰も論じる事はなかったと思う。
そう言う意味では強烈な教訓である。
しかし、死んでしまったら教訓も何も無い。
子どもたちのことを考えると、起こらない方が良かった。

大いなる矛盾である。


放射能は世界を緩慢な死に至らす猛毒である。
(私たちの命から見たら)永遠に蓄積するし、無害になる事はない。


今健康に直接の被害が無いなどと言う事は嘘である。
放射能を放ち続ける元素は世界に蔓延し、蓄積して生命のDNAを破壊して行く。全ての生命は狂い、緩慢な死にいたる。




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