北国の帝王

ロバートアルドリッチと言う監督を僕はもの凄く好きだ。

北国の帝王と言う映画は余り語られる事も無い映画である。
確か東京の名画座で見たと思う。


最近、結構遠い町(6-70km離れている)に毎日通っているのだが、その町のDVDレンタル屋さんが面白い品揃えをしている。
すんでいる所のツタヤさんには無い品揃えなのだ。


今回借りたのが、

ビック リボウスキ 大好きなのだ。遺灰を撒く所の台詞を確認したかった
飛べフェニックス 余り見かけないので借りた。子どもに見せたかった。
北国の帝王 借りる機会を狙っていた。ガルシアの首につながる何かが有るなあ
グロリア もちろん、ジーナ・ローランズ
戦争のはらわた ガルシアの首つながり。ペキンパー最高
ブラックサンデー テロリストを実に等身大に描いている。原作とラストの或るキャラクタの生き死にが違う所が残念。カレンブラックもブルースダーンもいいなあ。帰郷でもブルースダーンはいい味である。
アメリカの夜 ジャクリーンビセット狙い、トリフォーも大好き
欄の女 ジャクリーンビセット狙い、結構エロい映画なんだなあ、レスラー、アイアンマン2つながり
理由 ちょっと見たくなった

なんだけど、「飛べフェニックス」と「北国の帝王」は両方ともアルドリッチさんである。
気がついたら、「ロンゲスト・ヤード 」、「カリフォルニア・ドールス」と言う映画も大好きなのだけど、両方ともアルドリッチさんなのだ。

彼の映画は、人間のどうしようもない孤独が描かれている。
物語自身の中にはそう言う高尚なものは直接には描かれていない(描こうとすると臭くなるからなあ〜)が、見終わった時の何とも言えない寂寥感は一品である。



昔書いて書きかけのページでこんな事を書いていた。

スポーツ映画のすばらしさは、勝利を演じているからでは無い。
たとえ、勝利しても、それは時間と言う無慈悲な女王の前では一瞬の物でしか無い事を皆分かっているのだ。

肉体は滅び、やがて塵に還る。 当然、精神も無に溶かされてしまう。
不思議な事に、心に残ったスポーツ映画と言うのは皆寂しさが残る。
スポーツ映画こそ、ある面で、私達の『生』が一瞬の物だと言う事を知らしめているのかも知れない。

北国の帝王』も考えてみればスポーツ映画だ。
ホーボーの無賃乗車というスポーツで、ルール説明の後に本番の試合がある。
「ルーキー物」の要素が有る所も良い。



町山智浩さんがポッドキャストの中で触れている。この頃はいい感じだったなあ。
「第59回 『イントゥ・ザ・ワイルド』と『北国の帝王』の知られざる関係」の時である。
映画の根っこがつながっている事を上手に、思い上がる感じが無く語っている。

他人の見方を否定したり、浅いと言ったりする事を僕は嫌悪する。
それは、その人の人生を罵倒する事になるのだから。

僕には小学校の子どもがいるが、よく映画や本の感想を話し合う。
子どもはその人生の中で感想を語る。
感動は人生の知識や長さと関係なくその魂を揺さぶる。

無論、映画の根っこがつながっている事や人々の心を作る何かが根っこでつながっている事を知っている事は重要である。
しかしそれ以上に一つの魂が感動出来た事は重要だ。

僕らは皮膚の内側から抜け出す事は出来ないし、そこには絶対的な孤独が存在する。
しかし、同じ感動を感じる事で共感することができるのだ。

若い頃、暗い名画座のスクリーンを見知らぬ人達と一緒に見つめ、涙が止まらない思いを持ったとき、孤独でありながら僕は一人だけでない事を感じることができた。

そんな事を思い出す。

あの頃の僕は何も知らない若造だったかもしれないが、彼を否定したり、見方が甘いとか言う気にはならない。
毎日が辛かった、そして映画館は、素晴らしかった。

あの空間はどこに行ったんだろうか。