妄想の警視庁.....享楽的雰囲気が過度にわたってはならない。
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しかし、凄いなあ。
『水着の女子高生と抱き合って踊る』とは思いもよらなかった。
警視庁妄想課に感謝する。新しい性が開けるかもしれない。(冗談)。
『享楽的雰囲気が過度にわたる』って一体何なんだ。組織的売春につながるということだろうか?
警視庁妄想課は次にダンスを禁止するだろう。
合意のもとのダンスはお許し願えるのだろうか!
異性と手をつなぐフォークダンスも警察の許可が必要になるのだろうか。
まるで戦前である。
実際に厳しいイスラムの文化では、肌を出すことも処罰の対称となるのだからなあ。
決してその文化が悪いと言うつもりはない。
それぞれの文化にはそれぞれのしきたりがあるのだ。
僕らの文化は、決して「警視庁妄想課」が考えているようなものではない。
狭義のセックス(性器の接触とオルガスムスまたは射精)を販売(金を払ったら、ほぼ必ず手に入る)するのが売春だとしよう。
広義のセックス(体の接触)を販売することも規制とするならば、AKBの握手会はそれに入るんじゃないか?
青少年は体の接触を出来る為に多くのCDを買うわけではないか?
千枚買ったらハグだとかのメニューの階層化したらすげえ事になるぞ。
前にも書いたが、売春というのは金を払ったら目的の行為まで行ける事である。
ソープランドに代表される。
握手会もこちらに入る。警視庁妄想課の皆さんは握手会も規制するべきであろう。
自由恋愛はいくら金を払っても目的の行為にたどり着く補償がないことである。
キャバクラに代表される。
警視庁妄想課は、人の喜びを規制したいのである。
規制には天下り先と利権がセットになってついてくる。
憂鬱である。
ダンスとセックスの関係は大有りだ。ダンス自身が猛烈に性的な意味がある。
人生(セックス)、文化的な様式に昇華されているものがダンスなのである。
男と女が出会い、もたらせられる喜び、虚無、生きることの悲しみ、老いる事の孤独、すべてが表現される。
人生そのものではないか。そして人生を描くことがすべてのアートの存在意義である。
きれいな女性が先生のダンス教室に、接することが出来る事を夢想して通う男が多いことは「シャルウイダンス」なんかでも描かれている。
ダンス教室はセックスと切っても切れないものだろうとも思う。
それは人の営みだからである。
アントニオガディスの「カルメン」を昔劇場で見た時の衝撃は忘れられない。
これ程に深く芳醇な世界をどうなれというのだろうか?
確か三百人劇場で見た思い出がある。
「フラメンコ歌劇のカルメン」を演出する監督が才能あるダンサーを見つける。
彼女は劇中のカルメンと重なり合い、監督はホセと重なり合っていく。
確かに、ホセはストーカーである。
少し気があるように見えた女を独占しようとしてそれがかなわないとなったとき刺殺するのであるのだ。
監督と女優の話と見たらパワハラと見てもいいかもしれない。
しかし、大事なことはこの物語が「人」の本質の物語であること。
解釈は時代と場所で変わるだろう。
しかし、僕らの心がこの物語に動くということは、この物語が普遍的何ものかを描いている証明である。
しかし、圧倒的なダンスだ。
32分〜37分のタバコ工場のシーンは凄いねえ。
35分くらいから群舞となり劇場で見れたことをどこかの誰かに感謝する。
しかし、これはブルーレイで見たい。
出ていないと思ったら、出ていた。
買った。
タンゴもダメなのか 警察庁「享楽的雰囲気が過度」
■ダンス禁止!? 風営法問題を追う:2
ダンス規制を考える
【神庭亮介】風営法によるダンス営業規制の余波は、クラブとは無関係のペアダンスの世界にも及んでいる。この数年で、サルサバーの摘発や、公共施設がお年寄りの社交ダンスサークルを締め出そうとするような事例が表面化した。
タンゴなどの男女ペアで踊るダンスは、「享楽的雰囲気が過度にわたる可能性がある」というのが警察庁の見解だ。8月、タンゴ関係者との会合で警察庁の担当者はこんな説明をした。「規制を法律から外すと、ダンス教室と称して『水着の女子高生と抱き合って踊れる』といった営業をされる可能性がある」
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