僕のマイクロバイオーム論(14) 「マイクロバイオームジェネレータとしての生命」「社会」の中でセックスはどう捉えられているのだろうか

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昨今の不倫報道に関して、個別に考えていくと色々なことが感じられる。

基本的に、「セックス」が何らかの形での「通貨=財の収得に使われる共通の価値」として機能していることをはっきりと認識するべきなのだろう。

「結婚・家族」が保証(していた)財は「老後」だった。
しかし、老後の生活を保証する役割は「行政」に委託された。




と同時に「財」に対応する「処罰(裏切りの報復=価値の維持)」もそのサイズ(社会全体)に拡大された。
コミュニティとは、そこに属することで得ることの出来る「価値(+)」と供出する「財(-)」の共有関係と言える。

この議論は「信頼と裏切りの社会」に詳しい。

信頼と裏切りの社会

信頼と裏切りの社会



夫婦(家族)もこの観点から考えると良く分かる。

家族を維持するために財を消費すること(セックスを始めとする諸相で相手に満足すること)で「自分の価値が暴落した老後」に「一定の権威と家族と共に暮らすという特典」を得ることが出来る。

所が、現在は、家族は外注化され、年取った時に与えられる材はすでにすべて証券化(生きている限り配当のある年金)されている。
具体的な世話をするのは、家族ではなく行政である。


『結婚や家族から受けられるメリット』はすっかり外注化された。
残されたのはセックスの満足だけである。確かに、略奪しようとしているのかもしれないが、もっと気持ちよくしてくれるならばそちらに乗り換えてもいいではないか。
ならば何故、面倒な思いをして、夫婦関係を維持する必要がある?

家族の外注化は「夫婦」という関係も、金で片がつく関係にしてしまったのである。



自分に価値があるから相手は寄ってくる。「面倒な妻や、親戚、義母」いずれも自分の満足とは全く関係がない。


まあ、不倫相手から得られる性的な満足がそれに値するかどうかは別な話である。



離婚は簡単にできる。



しかし、メンタリティは変わらない。
何故ならば、夫婦でとじたセックスを行うということは外部からの感染症に対しての重要なシェルターであるからだ。
だから、安全に生きるためには少しぐらい我慢しなけりゃいけない。

エイズが大きく感染を広めた時に多くの議論が生まれたことをよく覚えている。
ゲイセックスに対しての神罰だとか、色々とひどい話があったねえ。






ちなみに宗教的な「規制」は生きることが厳しかったコミュニティで強く見られる。
社会的な「法律」に個人の欲望を規制するよう委託が進むと宗教的な規制は弱くなる。
アメリカ南部と東部を比較すると分かる。
リンチにはそれなりの意味がある。

そして、異なった価値を信じるコミュニティの衝突と僕はみなす。
ではどうするべきか『when in Rome, do as the Romans do(郷に入っては郷に従え)』である。

そして最小の「郷」は家庭である。









僕がセックスを嗜好品と行っているのは、それぞれの個人での価値の重さが違いすぎるからである。と同時に共通で「それ」の持っている意味はわかる。
どんな嗜好であっても、満足できない苦しみは共通だ。
と、同時に、異なっていた場合。他人の嗜好を理解することも共感することも出来ない。

未成年に対する強制的なゲイセックスが露見したために社会的に抹殺された俳優がいた事は記憶に新しい。
私達の社会では許されることでも、容認するべきことでもない。
しかし、「鬼畜」と彼を呼んで唾棄するだけでは問題は解決しない。
私達の中にも「鬼畜」は潜んでいるのだから
この問題の結論は出ない。








だから社会全体で報復が起こるのだ。


キャバクラで数百万円まき上げられた人のことを考えると色々と思うことしきりである。
金で解決できる関係という表現がよく聞かれる。





セックスとは、「子供を作るための減数分裂の最終目的」ではなく、最大効率でマイクとバイオームが環境に適応しようとしていると考えている。

マイクロバイオームが、生物(コロニーの物理的な管理を行う「私細胞の集団」)を操っているという仮説を検討中である。

これだと、多くのことが説明できる。









と同時に、老人を維持するための仕組みという面も存在することに気がついた。
他者を利用して、自分を維持する戦略である。

この世界に「合理的な消費者」などはいない。
多くのマクロ経済理論が当たらないわけである。
ミクロ経済学にしてもゲーム理論などというものにしても、この世界を予測することなどできるわけがない。

複雑系の研究を見てみると、前提からし複雑系が解析可能だということになっている。
腹抱えて笑っちまうぜ。



しかし、研究者は成果に対しての報酬で生きているから、何が何でも結論を出さねばならない。
哀れである。




マイクロバイオームにとって、赤ん坊はフレッシュなマイクロバイオームジェネレータである。
同様に、老人もそれなりの意味を持つジェネレータなのだろうか?

「老人も子供も、全ての他者は」嗜好品の1種類と僕は考えているのだが、どうだろうか?
ペットさえも嗜好品である。

なんで、妻は僕ではなくマユに頬ずりする?
かわいいからだそうだ。
嫉妬するわけではないが、ちょっと不愉快である。
しかし、マユにしてみれば、可愛らしい仕草で、「ヒト」を操っているのだ。
孫が「おじいさん」を操るようにである。





こんな話を妻にすると呆れられる。
先駆者は理解され難いものである。




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