サマーウォーズに泣いた

<----この項書きかけ------>

サマーウォーズと言う映画を何度見ただろうか。

何度も、何度も「あきらめるな」と言うメッセージが伝えられる映画である。
何度も、何度も泣いてしまった。

この物語は、喪失と発見、僕らが既に失った家族と言う絆へのレクイエムである。
そして、主人公の成長の物語である。


侘助と言うキャラクター】
侘助とはおばあちゃんの夫が妾に生ませた子どもである。おそらく、50歳くらいの時に若い妾に生ませたのだろう。
おじいさんが死んで、実家のおばあちゃんが養子としてその子を引き取る。今の僕たちの常識で見てはいけない。家族が経済の単位だった時代には多く見られた事だ。

物語の時点では40歳、3人登場する甥(おばあちゃんの子どもの子ども)と同じ年代である。彼の複雑な立ち位置が感じられる。(いずれも消防士とか救急隊員)作中ではつかみ合いの喧嘩になるが4人の関係が見事に表されている。


おあさん以外の家族は勝手に「かけ無しの財産である」山を売ってその金を持ってアメリカに行った。と言う事になっている。(この金は、侘助が盗んだものではなく、侘助の才能を見抜いたおばあさんが「やった」と思うのだ....)

結局その資金が悪役の『AI、ラブマシーン』を開発する資金となるのだった。
侘助にとってラブマシーンは家族であるという構造も面白い。彼はAIと言う家族を作ろうとしたのだ。当然分身である。

侘助は自分をラブマシーンに投影して、殺す事で、家族の中での自分の場所を見つけるのである。
運命に対しての謝罪とやり直しのプロセスである。


小さい頃から、「妾の子」として育ち、幼年期に実の母を失い、知らぬ家に引き取られた彼の孤独を考えると涙が出て来る。
朝顔の畑を歩きながらギューッと手を握った小さな魂は何を見つけたのかなあ。


侘助」はこの映画の大きな発見である。






【圧倒的な悪役と、戦いの場】

敵役が強くないと面白くない。
OZという仮想空間の発明に乗れるかどうかが結構重要だなあ。OZはインターネットを模している。

敵役は「ラブマシーン」と呼ばれるAIである。侘助が作り、某国がOZ上で実証実験を始めたAIである。


幾度も戦いが行われる、しかし、いずれも負ける。
いずれも、全員の力が一つに成っていない為である。

そして最後の戦いで勝ち、物語は安定する。




【未来を見つけられない少年が、見つける物語】

少年は未来を見つけていない。だから少年である。

この物語は一人の少年が未来を見つける物語である。そして僕らは皆、少年である。だから共感するのだ。
誰かに頼られる事で、自分の場所を見つける物語である。




【ラブマシーンその後】

最後に残されたアカウントは2つで、そのうちの一つはキングカズマに破壊される。
ラブマシンーン本体はどこに行くのだろうか?

コミックスのアンソロジーにその解釈が出て来るが面白い。










【技術的な考証】
仮想空間の表現や、技術的なバックボーンに関しては疑問を言う人もいるが、そんな事は関係ないのだ。

町山さんはス−パーコンピュータが何の為にいるかと分らないと言っていた。確かに、サーバー上で全て処理されているならばいらないと言えるかもね。

しかし、あの物語で、家族全員が『必須アイテム』になる為に必要だったのだ。

電源の為に新潟から船、自衛隊から通信モジュール、大学に納品予定のスーパーコンピュータ、ワビスケおじさん、カズマ君、3人の中年ゲーマ、「皆が力を合わせる事で人生の困難に立ち向かえる」と言う主題を表現する為だったのだ。





【監督についてと作品の中での位置】


時をかける少女細田版)は面白い。SFに関しては星小松筒井、アジモフニーブンハインラインブラッドベリの時代から大好きで、海外国内とても沢山読んでいる。
なので、こういう本格派のタイムパラドックスものは大好きである。
少女の描き方が上手いなあ。そして大人になると言う事を奇麗に描き切っている。
宮崎駿はこれができない。あの爺さんは「少女好き」だから大人にするのが嫌なのだ(笑)。


ワンピースシリーズの中でも異質な『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』を前に見ていた。
同じ監督だとは知らないで、サマーウォーズを見たのだ。

同じ様な感動が有ったので、調べたら、同じ監督なんだねえ。

ジブリ(「もののけ姫」からこちら面白くない。)も終ったし、これからは「細田守監督」だねえ。





サマーウオーズ設定集
公式サイト

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【町山×ウタマル:マウンティングの夜】

町山智浩さんと言う人がいるのだが、僕は大好きである。
そもそも、ストリームと言うTBSのラジオ番組で町山さんの面白さを知った。
このストリームの終り方には非常に文句があったのだが、その後番組として「キラキラ」と言う番組が始まった。

この番組の中で、ウタマルさんはパーソナリティを勤めるのだが、「立ち位置」が気に入らない。
かれは、同時にウイークエンドシャッフルというラジオ番組のパーソナリティをしているのだが、やはり「立ち位置」が嫌い。




サマーウォーズと言う映画をウイークエンドシャッフルで町山さんがゲストで来た時に感想を話すのだが、その時に町山さんはサマーウォーズを余り高く評価しなかったかった。

それを聞いていたので、DVDが新作で出た時に借りる事はなかった。
旧作か準新作になった時にいつもDVDの棚に残っていなかったから不思議だった。
ポニョはいつも残っていたが僕は『赤いDVD出して平気なジブリ』が嫌いなので見る事はない。(『爺さんが空飛んでから』ピクサーも嫌いになった)


見てみてビックリである。町山さんの評論が全く的外れにしか感じられなかったのだ。

ちょっと裏切られた感が強かった。またウタマルさんも町山酷評にヘイヘイと同意しているではないか。
ウタマルさんは番組に監督を呼んだり、この映画が大好きなはずなのだ。

キチンと反論しろよな。



宇多丸さん人は一見、どんな映画でも「映画として面白いかと言う事に正直に論評している」様だが、実際にはそんな事は出来ない。
例えば「松本 人志」の映画を評論した時などは松本 人志には嫌われたくないが、映画の出来は褒められないと言うジレンマでねじれている。




宇多丸さんは、自分の「映画評論家」という肩書きを認知させる為に「町山智浩」と言うブランドを上手く利用したのだ。
この事は決して間違えでも責められる事でもない。


二十世紀少年」を罵倒する時に2人はタッグで罵倒するのだが、表に立ったのは町山さんだったと思う。
つまり、国内で仕事をして行く上で罵倒しにくい相手に対しては町山さんを使っての評論となった。この事は決してズルイ事でも責められる事でもない。
実際に、この後の第二部を批評している放送ではソロで思いっきり罵倒するのだ。

けどちょっとその立ち位置は気に入らない。





サマーウォーズの次に町山さんが紹介した映画は昆虫のバトルの映画である。聞いていて僕は呆れた、こういう事は、少なくとも、ウタマルさんのリスナーを馬鹿にしているのだよなあ。


以前、どこかで町山さんは「幾らでも映画を面白く語れる」と豪語していたが、だからといってこういう事をしない方が良いよなあ。そんな事なら出るなよなと思う。

この二人の蜜月はこの放送あたりで終る事になる。



この後にハートロッカー事件である。
このハートロッカーについての2人の対立は色々と言われているがまた別の機会に書く事にする。

ハートロッカーについての議論と言われているが、これはまさにポットキャストを通じた2人の位置関係の確認作業である。
お猿さんの世界ではこういう行為を『マウンティング』と言う。


ウタマルさんのマウンティングは「キラキラ」でも見られる(聞ける)のだが、やはり気に入らない。
そのうち、俺が偉くなったらおめえなんて鼻にも引っ掛けないからなあ。
売れない事に対してのルサンチマンが感じられ、聞いていて辛い。

ちなみに、ウタマルさんのシネマハスラーは「お勧めです」。
本当に、良いことを沢山いっていると思う。

町山さんは、忙しすぎて映画評論が出来ないのは残念。
無理に文化人にならない方が良いと思うのだがなあ。

2人を聞いていると思う事は、スポンサー有っての人気商売は辛いよね。