幸運な病のレシピ( 1693 )夜 :カボチャの炒め煮(ひき肉インゲン)、手のひらピザ、汁の仕立直し
【 2019/11/9の食事 】
皿を数える。
いつも父の食事を作る時に皿の数を数え決める。
今日は少し足りなかったので、かぼちゃを作った。
何で足りないと思ったのかいつも考えるが、出した食事を残さず食べているかをいつもイメージしている。
身体の調子は、食事の様子でわかる。
「ミールラウンド」などという患者の分析が流行りのようであるが、アタリマエのことだ。
家族皆で食事をしていた時は、食卓は心を映す鏡だったのだ。
人は心で食べる。
「関係性の食事学」とでも言うべきものがそこには有るのだ。
心は箸やお椀以上に大事なものだ。
食は心であり、命なのだ。
父の食事
家には来なかったが、綺麗に皆食べた。
僕は飲んじまった。やっちまったよ
しかし、飲まないでいれないのは辛い。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masaya50/20170815