「専門家依存症」、患者が「ゼロリスク」を求めているという言いがかり、医者の勝手な言い草、官僚の思い上がり、製薬会社の商売。

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『「セロリスク」を求めるのは馬鹿である』これは多くの医療関係者が話す言葉だ。
自分に薬害が襲いかかった時、それは「ゼロリスク」ではなく「100%の現実」になっているのだ。


先日、「ある医者」が書いた本を読んでいて、「子宮頸がんワクチン再開すべきだ」という結論を導き出していた。
巧妙に進められているその論は確かに反論しがたいものであった。(この医者に関しては後日書く)



その中で「ゼロリスク」は幻想であるということが論じられている。
そのくらいのことがわからないと思っているのだろうか。

これほど、患者を馬鹿にした話はない。
副作用を怖がるのをまるで馬鹿のようにいう。




良く効く薬には副作用があることくらい誰でも分かる。同時に、薬の効力も知っている。

かつて医学は、私達の臨床的な苦しみに対して多くの福音をもたらした。

◯外敵との戦い
 「結核・梅毒」を医学は「薬で治る病気」にした。
◯欠乏症の救済
 ビタミンCの欠乏と「壊血病」・ビタミンB1の欠乏と「脚気」の原因の発見。
 『物質と病気の単純な因果関係』を見つけ出した。

その栄光の実績は、傲慢さを生んだ。

治療における利害関係者は遥かに多く・既得権益は複雑に絡み合い、社会構造となっていった。
構造化した社会をいかに変えることが出来るかという問題である。











問題は、自分にその状態が出た時に、医療関係者がどうしてくれるかである。

「薬の副作用」だと言う判定は誰がどこで行うのだ?

もう戻らなくなった「身体と一生付き合う私」をあなた方はどう扱ってくれるのだ?


それがクリアでないのに治療を受けろという。
商売なのだから仕方がないのか?
どこに間違いがあるのだろうか。



何度でも書きたい。患者は病気の入れ物ではない。





僕の娘は「インフルエンザ治療薬」で死にかけた。これは僕の体験である。娘は翌日なにも覚えていなかった。
翌日の医師の対応が一番腹が立つ。
そしてこのページのコメントを見てもらいたい。
ここに書き込んで「僕を馬鹿扱いしている連中」にとっては「ゼロリスク」なのである。

娘と僕にとっては100%の現実なのだ。
これ以来僕はウイルスに対しての薬は使わないし、子宮頸がんワクチンも受けさせなかった。」






この記事の一番腹が立つ所は、『「他の薬でも起こっている」から、タミフルだけを特別に扱うな』というところである。
他の薬も公表すればいい。人の身体は千差万別、二つとして同じものはない。同じ薬でもある人にはダメージを与えることもあるだろう。ならば、十分それを理解しなければならない。

 すべての薬は危険なのである。


医師という専門家に任せることが必要な場合もあるだろう。
しかし、それだけではならないと思う。



タミフル、10代もOKに 異常行動との関連認められず
黒田壮吉2018年5月16日19時26分 アサヒ・コムより

 厚生労働省は16日、インフルエンザ治療薬「タミフル」の10代への使用制限を解除する方針を決めた。薬をのんだ子どもがベランダから転落するなど異常行動が相次ぎ、2007年から10代への使用を原則禁止してきたが、タミフルによって異常行動が起きると結論づけられないと判断した。厚労省は年内にも添付文書の改訂を製薬会社に指示する。

 タミフルの処方は、インフルが重症化する危険が高い場合などには認められている。研究班が10代の異常行動を分析すると、09〜16年の100万処方当たりの報告数は、タミフルを使った患者は6・5件。別のインフル治療薬でもリレンザ4・8件、ラピアクタ36・5件、イナビル3・7件。薬を使わない患者で8件だった。研究班は「薬の服用の有無、種類に関わらず、インフルエンザ罹患(りかん)時には異常行動を起こす可能性がある」とした。

 同日にあった有識者会議では、「ほかの薬でも同様に異常行動が起こっており、タミフルだけが危険だという誤ったメッセージになる」などの意見が出た。厚労省は、添付文書の警告欄に書かれた「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を削除する方針だ。

 タミフルは、国内では01年に発売。のみやすい薬として、広く使われた。07年以降、10代への処方は減少したが、16年度の推計で10代は約10万人に処方されている。(黒田壮吉)


この記事も考えさせられる。
正露丸の主成分は解毒剤すら存在しない劇薬! 薬剤師いわく「百害あって一利なし」」なんだそうだ。
僕は飲んでいるのだが、どうすればいいのだろう。
専門家の言うことに任せるか、自分の小さい頃からの経験を優先させるのか?

まあ、一瓶飲んで自殺するのは止めておこう。




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治療にはリスクは伴う。

僕の糖尿病の治療の経験はまさにそれだった。
キチンとそのリスクを伝えることの出来ない医師が僕の身体を取り返しのつかない状態に追いやった。
無論悪いのは僕である。
今ならそれは分かる。あの頃の僕にアドバイスできたらなと何度も思う。




しかし、それはかなわない。そして専門家でない僕の話など聞こうとしない。
きっとあの頃の僕も、専門家でない僕の話など聞こうとしないだろう。
どんな「言葉」が必要なのだろうか?



「専門家依存症」これこそが、次の本の主題である。