「今日の食事が死に方を決める 明日の食事が生き方を決める。」(3) その変化は、あまりに多くの場所で互いに関係なく同時に起こった。そして「豊かさ」という副作用を伴い、誰も逃れられない。

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「3世代同居の家庭」と言われた家族関係は個人の自由や価値を否定して、「家族・一族」といった価値を優先するものであった。

この人間関係は、懐古的な右翼の方々が好むことからも分かるように、「抑圧的・高圧的・既得権益的」な社会システムであった。「家督・家父長、地主・財閥」といった社会の固定化と結びついて多くの悲劇を生んでいた。
と同時に「安定的な社会」のもとになってきたし、「個人の能力」と「社会の維持的発展」を切り離すものであった。




しかし、グローバリズムは簡単にこのシステムを破壊した。

私達は大喜びでこのシステムを破壊した。しかし、因習の破壊だけでは済まなかった。
「家族というシステム」は「因習の原動力」でありながら「痛みやすい個人を守るシェルター」でもあったのだ。



この本では、家族を取り戻すなどという戯言を論じるつもりはない。
もはや取り戻すことは出来ないのだ、そして多くの「因習」とセットになった「家族」を復活させる訳にはいかない。

まずは失ったものが何であったのかを明確にしていきたい。


そしてもう一つのその影の部分についても論じたい。
「家族」から「コミュニティ」に軸足を移して多くの因習が生き残っているのである。








継続可能な「循環する家族」を私達は失った。

生活習慣病」に医学が歯がたたないのは理由がある。

失われた50年の中にこそ解決するべき問題位への正しい問いかけがあり、進むべき私達の道があるのだ。









私達は、「家族という記憶装置」を維持することで、「社会・文化・宗教」と言った様々なもが生まれてきた。
「社会・文化・宗教」という抽象的な概念は、毎日の「生活の中での具体的な実践」を通じてしか存在を認識できない。






『専門家に任せれば幸せになれる、誰かの言うとおりにすれば良いのだ。』というメンタリティは「群れ」を作る生き物にとって最も重要なものである。




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