幸運な病のレシピ(16)楽しいひと時「生活習慣病」を考える

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糖尿病の合併症と診断されてから、様々な本を読んだ。
生活習慣病」と呼ばれている身体の状態についての考え方と向かい合うことになった。
糖尿病は「生活習慣病の王様」である(笑)。

最近は、リュウマチについて考えている。
男は「痛風」女は「リュウマチ」年取りゃ「骨粗相症」である。

リュウマチ痛風は類似点が多い進むと関節の変形を呼ぶ。
この2つと「骨粗相症」を別な病名で呼ぶのは間違えている。

リュウマチ痛風には特効薬があって飲めばすぐに痛みが消える。
しかし、一生やめられない。
止めた途端にまた痛むのである。これは薬とはいえない。

痛風、高血圧、高脂血症、いずれも特効薬がある。
しかし、原因はわからない。
様々な研究は行われ、ますます特効薬は生まれていく。
しかし、いずれも病気自身を止めることはできない。








病気について調べていくと、「原因ははっきりしていない」という言葉を最近はよく見る。
以前は、発病のプロセスを分析するのが原因の特定と考えられていた。
そして、一通り、様々な病気の発症のプロセスははっきりしてきたのである。
そして結局、痛みは消すが、直しはしないことを学んできたのだ(注1)。

痛みは、細胞の受容体と呼ばれる膜タンパク(注2)に特定のタンパク質が吸着して脳がそれを感じるのである。

分子標的医療がそのプロセスを「殺す」薬(特定のタンパク質のブロッカー)を生み出した。
つまり、痛みを簡単に消すことが出来るのである。
『分子レベルの目隠し』と言える。
では、この薬は病気を直しているのだろうか?健康に戻れるのだろうか?

臭いものにはフタをし続けるのである。
だから、痛風でも、恐ろしいのは腎臓に来たときといわれる。

痛みが消えれば問題がなくなった訳ではない。
特効薬は、本当の原因を隠すのである。

そして医師は、生活習慣に本当の原因が有るから、「特定の物質(プロセスを生む原因)を食べないようにしなさい」と言うのである。
しかし、人の体はそんなに単純ではない。
骨が弱くなればカルシュウム、痛風ならばプリン体、血糖値ならばカロリー(食物の燃焼温度に対応した換算値)、高脂血症ならば脂肪、高血圧ならば.......何と単純なことであろうか!

医師の生活指導ほど害のあるものはない。


しかし、私たちは自分に見つけられないものを専門家に探してもらおうとする。
まさに、始皇帝が世界に不老不死の薬を求めたがごとくである。
そんなものが見つかるわけがない。




問題の根底は別なところにある。
「健康」と言う状態が人間の身体には一生続くものだ(べきだ)と考えているところにある。
一生「若くて元気」だったら、死なないのだろうか(笑)。

生きていれば、必ず迎えなければならない老後をいかに学ぶかと言う問題でもある。







僕は、「生活習慣病」は免疫系と考えている。
免疫とは何かという事を突き詰めていくと面白い生命像が見えてくるがそれはまた今度............。

必須アミノ酸(タンパク質を作る部品)と必須脂肪酸が十分に取れている必要が分かってくる。
88歳になる父に、今できるベストな食事を作っている。

この「食事ポリシー」がすべての人に正しいとは思えない。
しかし、遺伝子が半分は共通で、同じように母の食事で生活をしてきた「僕と父」にとってはベストだと感じている。
もし、僕の子供が共に住んで(同じ厨房で同じプロセスで食事を作って)くれたならば僕は父のように元気な人生の終わりを迎えられるだろう。


しかし、20年後に子供が共に住んでくれない可能性は高い。
僕が先に死ぬかもしれないし、この家から通える所に働き口が見つかる可能性も低い。
新しい家族と一緒に僕が住めるかもわからない(なにせ偏屈な爺さんになっているだろうし)。
なので「幸運な病のレシピ」を作っている。
本になるまでには時間がかかるかもしれないが、途中で終わるかもしれない、けど、諦めることはない。
僕が見たものが誰かの価値になれば嬉しい。

何か遺言じみている(笑)。









食事は、自分のため、家族のために作る。

そしていつか一人きりになるかもしれないが、思い出は消えない。
繰り返すことも、取り戻すこともできない人生を送っている。
その人生の一部なのだと感じることは素晴らしい。

僕は33歳でここに帰ってきた。父と母が非常に近いところ(同じ敷地の別な家)に住んでいながら、一緒に食事をしていなかった。

集に一回くらい一緒に食事をしたが、すべてを作るというほどではなかった。
母がなくなる数年前から食事を作るようになっていた。

母がなくなってからは毎日父と一緒に食事をする。
色々なことを学んでいる。

ボケてきても、キチンと生活できることとは何であるのかを考えている。

自宅にいながら、家に帰りたいと嘆き徘徊する老人の話を聞く。
「家」と言うのは、自分が尊重される空間である。
賑やかで楽しくて、心が休まる空間である。
それは決して、空間のGPS座標ではない。
父と、話をするのは、彼の心のGPSをここにとどめておきたいからである。
毎日食べに来るのが楽しいというのは良いことである。



僕の友人で20年近くグループホームに務めている人がいる。
その人の勤務先では食事を一緒にするそうである。
良いことだ。

年老いた時に、一緒に食事をしてくれる人がいるのは幸せである。
決して小言を言ったり、駄目を言ったりしてはいけない。
その人が尊重されていたときのことを考えるが良い。
家の中で皆に頼りにされていた時代、皆を守り、共に助け合い生きていた時代。
誰もが、戻りたいが、既に失われたもの。




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注1 : 痛みは消すが、直しはしないことを学んできた
僕は病気の体験記が大好物。僕の本も「真也と直子の糖尿病体験記」である。
『医師が病気になってわかったこと系』の本は、面白い。
病院で問診を受けると、医師は偉そうに俗説を訓する。
それが守れないからお前は病気なのだと思い込んでいる。
「腹八分目」「野菜中心」「沢山運動」「肉より魚」「よく噛んで味わう」自分はできているから健康だと思いこんでいる。
そして、ある日検査で引っかかるのである。
そういう体験が、医者自身に「生活習慣病」を考えさせ始めているのだ。
医療のガイドラインが、変わってきているのは、先輩の医師がどんどん「生活習慣病」で死んでいっているのを目の当たりにしているからだ。





注2 : 細胞の受容体と呼ばれる膜タンパク
細胞膜は一つ一つの細胞を形つくっている。
自分自身に必要な物質を取り込み、分泌する。それによって様々な役割を担っている。
60兆個ともいわれる細胞は、大変な量の情報の遣り取りをする。
そのやり取りのプロトコルこそが細胞膜に埋め込まれたタンパク質である。
そして分泌される物質もタンパク質が大きな役割をしている(注3)。
身体というコロニーで生活する数え切れないほどの小さな生命(注4)は互いに助け強調し合いながら、殺し合っている。
まるでルネッサンス期のイタリア歴史絵巻を見る様である。



注3 : タンパク質が大きな役割をしている
タンパク質単体で体液内を循環してそれぞれの細胞にメッセージを渡す場合もあるが、脂質と混在して流れてメッセージを渡す場合も多い。
私達がコルステロールと呼び、悪玉だとか善玉だとか大騒ぎする物も、実際には「コレステロール」が問題ではなく、コルステロールを代謝(産出)する食事が問題である。




注4 : 身体というコロニーで生活する数え切れないほどの小さな生命
重要なことは、同一のDNAのコピーに従って生まれた細胞(これを自己と呼ぶ)とそれ以外の細胞(細菌とかウイルスとか多くの場合「敵」と呼ぶ)は本来区別がつかない。
身体というコロニーの運用において、多くの場合実権を握るのは「自己」であると思うことも多いが、決してそうでもない。
進化の過程が共通である私達の共生している方々は、共通のプロトコルを持つ。
だから、自己と考えている細胞の中で増殖するのではないか。

ウイルスや細菌は常に変わりながら世界に適応していっている。
私達の「自己」と考えている小さな生命(細胞)も変わっていくのである。

次の本の大きな主題である。