我が便秘人生(4)最近の便秘

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酒を飲むと、便秘しがちである。
糖質を取らなくなってからすでに久しいが、数回生命の危機ではないかと思わんばかりの便秘に襲われた。

そもそも、炭水化物を摂らないと「おならが臭くなくなり、うんこの量が減る」のである。

しかし、うんこが出る時は順調なのだが、一旦、出なくなると手に負えない。




今回は前日に、酔っ払って、餃子を大量に食ってしまった。
まあ、いいかという感じで、食べたのである。

そして、トイレでこの「個人的な苦痛」に打ち砕かれ、他のことを何も考えることができない深い海に沈んでいるといつも母の苦しみを思い出す。












いま、阿川佐和子さんの新聞小説(コトコトコーコー)を読んでいる。
そもそもは妻に勧められたのが始まりなのだが、新聞の連載小説を新聞に連載されている時に読むのは初めてかもしれない。
佐和子さんのお母さんの日記を読み返すところなのだが、僕も同じような体験をした。

今でも、母の日記は辛くて読めない。






母は、日記帳に、毎日新聞の日付の所を切って貼っていた。
新聞休刊日が大変困ることになる。
そうすると、僕の所に来て「昨日の新聞の日付の所を欲しいというのである。
昨日の日付なのだから、意味が無いと言っても聞かないのである。
そこ(日記帳の新聞の日付を貼る所)に何かが貼られていないとその日があったことを忘れてしまう子との恐怖だたのだろう。



毎日、僕は母にいった。
「昨日のことを覚えていなくても、今日が何日か覚えていなくてもいいんだよ」と。
母は、いつも恥ずかしそうに、僕に日記を見せる。
晩年の数ヶ月の日記は字が流れていて読めないとことが多かった。
内容も、今日が何日かわからないとか、真也にご飯をもらったとか、読んでいると涙が止まらない。

辛かったろうなあ。

2015年10月を過ぎる頃から心が自由になったのだろうか、随分楽になったようだ

和歌山国体に1週間出かける時の朝の写真である。僕の中の母は今でもこの時のままの笑顔で笑っている。









製薬会社や医師やTVのCMは認知症が病気だという。
早く治療を始めないと大変なことになるという。


僕は間違えていると思う
人生の最後に、自分がありのままでいることこそが幸せなのだと思う。

母が亡くなったあとで、般若心経を学ぶがまさにこの一節である。
無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究境涅槃





しかし、便秘の辛さはどうしようもない。
これが人生の辛いところだ。



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