広島平和公園と靖国神社

さっきの日記を書いている時に気がついたのだが、広島平和公園靖国神社は一緒になれるだろうか。


もし、原爆で死んで行った人達と、靖国に祭られている人達が一緒の場所で眠ることができるのならばその場所は素晴らしい。


シベリアで飢えて凍えながら死んだ母の兄もそこに眠り、満蒙開拓団の団長として敗戦時に殺された妻の祖父も眠り、皆和解しあえるならば素晴らしい。


A級戦犯を恨んだり批判するのは、ともに眠ろうとさせない連中がいるからなんだ。


僕は全ての戦争の犠牲者がともに眠り記憶の中に生きる場所があるならばA級戦犯もともに眠るべきだと思う。
既に彼らは憎しみも謝罪もない世界にいるのだから。



戦争が市民を殺す事を隠して、次の戦争を起こそうとしている政治家や軍需産業の手先が、私たちを引き裂いている。


僕の母の実家のアルバム。戦争で死んだ長男の写真が多い。