僕の家には神棚がある。そして靖国の事。

僕は全くの無神論者で、葬式にお坊さんに来てもらう事は必要ないし、戒名もいらない。

おみくじはよく引くが気にする事はない。

当然神社なんかも大嫌いなのだ。
戦前の国家神道として戦争に突入して行く枠組みを作ったことを僕らは反省していない。
靖国神社の問題ももっとまじめに論じるべきだと思っている。



数年前に、地元の諏訪神社のホームページを作った。
その時に、宮司さんと色々と話て、また色々と考えた。



土地に根ざす信仰を僕らは持つ。
そして、宗教は、それを「国」と言う奴隷から命と心を奪う制度と重ねあわせるのだ。
そして僕らは兵士として、遠い国の人を殺し、殺されるのだ。


彼との会話はとても面白かった。知的にスリリングだった。
神主だから偉いのではなく、知識と智慧があるから尊敬できる。生き方に信念があるから素晴らしい。

そして、こういう人ばかりが宮司さんならいのになあと思った。



この人が宮司さんなら神棚も悪くないなと思い買った。
そして時折手を合わせ、庭にある榊を供える。


そんな諏訪神社のお祭りが今年も来る。
子どもたちは楽しみなようだ。

この楽しみや喜びが、また戦争に私たちを向かわせる力にすり替えられない事を切に願う。







8月15日の靖国神社はまた醜悪であった。


英霊が靖国神社に眠っていると言うが、彼らは靖国神社を道具として使った大日本帝国に狩り出され、殺された。
僕の妻の祖父は中国に開拓に行って敗戦時に殺された。
僕の母の兄はシベリアで殺された。

多くの市民が戦争で殺された。
沖縄では日本の軍隊に市民が殺された。

靖国はA戦犯を祭っている。

アーリントン墓地を引き合いに出されるが、日本はアメリカと違い多くの市民が戦争で犠牲になった。

靖国、今の日本は空襲で殺された人達の事を忘れたいと思っている。

当時国籍を日本にさせられたアジアの人達を無視している。






これからのアジアの時代に、僕の子どもたちが中国や韓国の子どもたちと向い合った時に、今の日本の姿勢では駄目だと思う。
だから、僕は君が代を歌うことはないし、日の丸を振る事はない。



以下、昔書いたページからの引用

僕達は、

「お前のおばあさんは、君が代を歌いながら、日の丸をかざして、ある日やってきた兵隊に犯されたのだ、お前のおじいさんは、天皇の子供だと言われ名前を奪われたのだ」

毎日こう聞かされて育った青年と一緒に新しいアジアを築いて行かなければならないのだ。



もはや、時間は、彼等の母と父への謝罪も反省も意味をなさない物としようとしている。




犯された母親の子供たちと、犯した兵士の子供たちは何を語り合えばいいのだろうか。

そして、時に思う、兵士達は父親として、青年として何を夢見ていたのだろうか。





犯された母親は何を失ったのだろうか。

犯された母親の子供は何を得たのだろうか。


そして僕の子供達は何を見つけるのだろうか。




憂鬱になる。