帯状庖疹から学んだ物。免疫は守り神でも無ければ防衛軍でもない。ただの壊し屋である。

多くの解説書やwebには『「帯状庖疹」は小さい頃感染した水疱瘡のウイルスが神経細胞に潜んでいて、「免疫が弱まると」症状を起こし、「免疫が強まると」収まる』と解説されている。
なので、始める兆候が見えたら、「抗ウイルス剤」をすぐに飲めばいいと言われている。



数日前から、あれほど、ひどく痒かったものが、ウソのように消えた。
僕の免疫が強まったのだろうか?
医者に行っていたら、「良かったですねえ、免疫が回復してきたのですよ」とか言われたかねえ。これって、「神様の思し召し」って言うのとどこがちがうのかねえ。


昨年の4月に始まって、おそらく9月くらいであろうか。
ひどく痒くて掻きむしるとジクジクして痛んだ。




僕は17-18歳の頃ニキビがひどかった。
今はまったくない。
ひどく膿を持って痒かったりした。洗顔剤を使ったり食事に気をつけたり言われることはみんなしたが効果はなかった。
そしていつの間にか消えた。






災厄は苦痛である。
同じように生きている「隣人」には何も起こらず、自分には起こる。
かつては神様に理由を聞いていた。
今は医者に聞く。

神官と同じように「医者」は権威で、物知りだからなんでも知っていると言わなければならない。
なんでも知っていることが権威の存在理由で収益の根源であるからだ。
しかし、「ご神託」が外れた時、権威は失墜する。







私達の体のことはど、何も解明などされていないのだ。
様々な研究は進み、免疫と一言で片付けていた現象が一筋縄ではいかない現象であることが分かられてきている。
単純な私たちは、『私細胞のプラスになるのが免疫である』と考えるが、決してそんなことはない。

生活習慣病もそうだし、最近の多くの災厄は免疫が私達の細胞を破壊している。
しかし、「私細胞(精子卵子に由来するDNAゲノムから分化した細胞生命、その身体コロニーの中でしか生きることができない)」を破壊することも免疫の重要な働きなのである。
免疫には「私達を守る意思」などというものはない。ただ単純に壊すべきものを壊す。無慈悲な壊し屋にすぎない





苦痛は嫌だろう、痒いのや痛いのは辛い。
帯状庖疹がこれほど辛いものだとは思わなかった。
母も苦しんだことをよく覚えている。
しかし、この病で命を奪われることは少ない。

進化医学の考え方では、病気にも意味があるという。
「ある状況下」では、「病にも何らかのメリットがある」という考え方である。

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

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随分面白い考え方だと思う。



しかし、今の僕の考え方は、もう少しちがう。
「マイクロバイオーム主義」とでも言うべきものである。
個体の苦痛は悲劇ではあるが、その個体を構成している「マイクロな生命」にとっては関係ないことなのだ。
死でさえも、引っ越し程度のものですかない。無論そのコロニーでしか生きることの出来ない「私細胞」にとっては破滅であろうが、私細胞の生は「卵子精子」を生むための仮の姿と考えれば



世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる

世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる

最近読んだマイクロバイオームの本の中で「ピロリ菌」と胃がんの因果関係に関しての研究のことが載っていた。
ピロリ菌という人とともに生きてきたマイクロバイオームを現在の医学は大量虐殺をした。
確かに胃がんは減っているように見えるが、食道がんが増加しているのではないかという懸念があるのではないかということなのだ。



「善玉菌」とか「悪玉菌」などと試験管の中の結果からマイクロバイオームにレッテルを貼るがなんと空虚なことであろうか?人の体に苦痛を与えるのは『悪玉』で、気持ちよくしてくれるのは『善玉』と言うのは、あまりに幼稚だ。

人生は苦痛の連続である。
年老いること、死ぬことは悲しみと苦痛、そしてまだ体験のしたことのない不安に満ちている。
しかし、避けれれない運命である。

運命は「悪玉」なのだろうか?






確かに、「医学」は「臨床の苦痛」を摂りのそいてくれた。
それを否定する気も、拒否する気もない。
しかし、「感染症」や「必須栄養素の欠乏症」に対しての輝かしい勝利の記憶は、災厄の因果関係を単純化させた。

そこに問題がある。

「因果関係」と「相関感系」はちがう。

「ヒト」という多くの生命のネットワーク(マイクロバイオームと私細胞の波間に浮かぶ小船)は複雑すぎて単純な処方箋はない。


2人として同じ人間がいないように、2つとして同じコロニーはない。


1005737






いいことわざがある
「人生万事塞翁が馬」「楽あれば苦あり」「禍福は糾える縄の如し」