幸運な病のレシピ( 669 ) 朝:鮭の白子の焼き煮しめ、もつ煮込み、魚の煮付け(拡大版)、パテから作った餃子の餡、シシャモ、大豆、味噌汁

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【 2018/10/10の食事 】

食べたいと思うものが、必要なものなのだろう。「煮しめ、魚の煮付け、汁、内臓系、小魚」いずれも出張では食べることができない。スーパー・コンビニでも焼き魚を売っているが、満腹コストが高い。煮しめはアウトである。美味しくない。

まして「鮭の白子の焼き煮しめ」などは売ってはいない。そしてそれが食べたかったのである。
ひき肉があったのでパテから餃子の餡を作った。今夜は餃子である。





モツは圧力鍋で10分の後で味をつけて煮詰めた。
煮詰める時にしょうがを入れた。
かなりいい感じなので次は大根ゴボウ人参などと合せるようにしよう。
モツは柔らかいと嬉しい。











魚と煮付けは一緒にしてみた。
なかなかいい感じである。
大豆は煮上がったところで、煮しめや汁に入れて食べると美味しい。

父の食事、シシャモの頭は食べないのでとって出したほうが良い。ヨーグルトは残さず食べる、白子も好きなようだ。





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10月1日 ロケーション確認 あわら温泉 「藤野厳九郎記念館」の事 2018年国体のお仕事

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朝5時からゴルフ場のロケーションを確認して、市役所にご挨拶にお伺いした。講習会のマシンの設営(午後1時から)まで少し時間があったので、「あわら温泉」街を歩いてみることにした。

「藤野先生」というのは魯迅先生のお書きになった物語で、教科書で読んだ記憶がある。



魯迅先生」のお名前は、「奴隷であることを自覚しない奴隷は一番惨めな奴隷である」と言う言葉とともに記憶の中にあった。
そして僕は「魯迅先生」のあまり熱心な読者ではない。
出張の数日前に観光案内を読んでいたら、「あわら温泉」の中心部に『藤野厳九郎記念館』があると記されていた。


中に入ると、まあ、当たり前の展示である。色々な文献などの原本や写真、胸像がある。


もう少し進んで奥に入って驚いた。


藤野先生がお使いになっていた様々な家具や医療器具が並んでいるのだ。

畳敷きの部屋や、当時の便器まである。
時代というものは、空間とともに感じることが出来るのだ。これは、驚きであった。


物は時間を超えて何かを伝えてくれる。僕はなくなった母の裁縫道具が捨てれない。食器や鍋や包丁も大事に使っている。
便器の注意書きには思わず笑った。まるで使ってみようとする人が後を絶たないようではないか。


100年の昔を考え、100年の後を考えた。
思わず畳の上に寝転んでしまった。疲れていたのかウトウトとした。
藤野先生は仙台の大学で教師の時代に、異国からの名も知れぬ青年と共に生きたのである。


そして、大学での教職を辞した後に素晴らしい医師としてこの土地で人々とともに生きた。
医療にとて大事なものは何かということを考えさせてくれる。



受付の方は中国の方であったろうか、少し片言の日本語で感想を聞かれた。
大変感動したことを伝えた。僕は少し涙目だった。


僕は2015年「医療という権威の奴隷であること」をやめた。
ここに来れたのは、なにかの啓示のように感じられた。


「権威の奴隷」でいることは、安心できるし、実に気持ちがいい。
そしてゾンビを殺すように、「奴隷からぬけだそうとする奴隷」を殺そうとする。
自分の信じている権威が「正しいと証明する」ために、造反するものを殺そうとする。
権威への忖度である(笑)。

僕は2型糖尿病である。「家族が可愛そうだから糖尿病だなどと言うな・酒がまずくなる」と何度言われたことか。2015年に医師に「眼底レーザ凝固手術・インスリン治療」しなければ失明すると言われた。

しかしその道は選ばなかった。愚かであったかもしれない。今も辛い。果たして食事で僕の体はピンピンコロリの人生を全うできるのだろうか?

考えてみてもらいたい、(医師も含めて)私達は死する運命なのだ(死という宿命の奴隷)。それを逃れることはできない。
そして「生活習慣病」を逃れたいために「医療という名の権威」の奴隷となるのだ(生活習慣病から逃れることが出来ると言う御神託)。

これを二重の奴隷と呼ぼう。


死から逃れることはできない。それは望むすべのないことである。

そして生活習慣病は本人にしか向き合う方法は見つけられない。ピンピンコロリの人生は迎えることが出来る。そう信じている。

奴隷であることを自覚したらもう奴隷ではない。そんな生き方を僕は見つけたい。




この日の夕方、「石塚左玄先生」を研究なさっている「岩佐勢市先生」とお会いした。
記念館の話になった。午前行ってゴロリとしてきたことをお話したら嬉しそうになさってくれた。


素敵な記念館であった。「あわら」に行ったら訪れると良い。

すぐそばに「だるまや」さんがあるので「どんりん」買ってお土産にすると良い。


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幸運な病のレシピ( 670 ) 夜:パテから作った羽つき餃子、モツ鍋(ニラ入り)、一人しりとり

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【 2018/10/10の食事 】
パテから餃子の餡を作った。父が早くきたのでいつもより早く夕食を出して、そのまま餃子を焼いた。

おおよそ朝からの残り物である。
ビール飲みたかったが、買いに行くのが面倒でそのまま水飲んでいたらいらないことになった。
汗かいた。
出張から帰ってまだ飲んでいない(笑)。出張のまとめで忙しい。今週中にはなんとか終わると思う。




父が早く来たので、まずは一杯やれる用意を始めた。
10個だけ焼いて先に食べ始めてもらう。
今日は調子がいい様で散歩に行ってきたそうだ。


元気に歩いてここに来てくれるのである。
待たせないことが重要。
何時くらいに始めたいか聞いてそれに合わせて皿を作る。


もつ煮が残っていたのでニラを刻んで汁にした。
妻がなんというかなあ〜。
見返すと結構怯えておる(笑)。そんなに文句は言われるわけではない。
今日は忙しくて何もできないのであった。


包んで、粉の上においていく。パテは十分水分を含んでいるので皮が湿ってくるので丁度いい。


包む時は「しりとりの練習」ををする。みんなでやった時に負けないようにである。しかし、なぜ一人でしりとりをしながらすぐ負ける?やっぱ、馬鹿なのか!



弱火で焦げ目を作って行く。
脂が適量でないといけない。
弱火から中火で、フライパンにひっつかないようにする。



焼き目が付いてきたら、「小麦粉水」を入れて、フライパンと餃子の間に羽根が入り込むように回す。
焼くというよりも、揚げると言う感じである。
「小麦粉水」濃さが重要である。


しっかり水分が飛ぶと、フライパンから上手く外せる。最近はこのまま返して両面焼きにしてしまう。パリッとして美味い。




昼は福井から買ってきたそば食べた。
天ぷらに合わせて温かいそばを食べた。
美味い蕎麦であった。


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