10月1日 ロケーション確認 あわら温泉 「藤野厳九郎記念館」の事 2018年国体のお仕事

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朝5時からゴルフ場のロケーションを確認して、市役所にご挨拶にお伺いした。講習会のマシンの設営(午後1時から)まで少し時間があったので、「あわら温泉」街を歩いてみることにした。

「藤野先生」というのは魯迅先生のお書きになった物語で、教科書で読んだ記憶がある。



魯迅先生」のお名前は、「奴隷であることを自覚しない奴隷は一番惨めな奴隷である」と言う言葉とともに記憶の中にあった。
そして僕は「魯迅先生」のあまり熱心な読者ではない。
出張の数日前に観光案内を読んでいたら、「あわら温泉」の中心部に『藤野厳九郎記念館』があると記されていた。


中に入ると、まあ、当たり前の展示である。色々な文献などの原本や写真、胸像がある。


もう少し進んで奥に入って驚いた。


藤野先生がお使いになっていた様々な家具や医療器具が並んでいるのだ。

畳敷きの部屋や、当時の便器まである。
時代というものは、空間とともに感じることが出来るのだ。これは、驚きであった。


物は時間を超えて何かを伝えてくれる。僕はなくなった母の裁縫道具が捨てれない。食器や鍋や包丁も大事に使っている。
便器の注意書きには思わず笑った。まるで使ってみようとする人が後を絶たないようではないか。


100年の昔を考え、100年の後を考えた。
思わず畳の上に寝転んでしまった。疲れていたのかウトウトとした。
藤野先生は仙台の大学で教師の時代に、異国からの名も知れぬ青年と共に生きたのである。


そして、大学での教職を辞した後に素晴らしい医師としてこの土地で人々とともに生きた。
医療にとて大事なものは何かということを考えさせてくれる。



受付の方は中国の方であったろうか、少し片言の日本語で感想を聞かれた。
大変感動したことを伝えた。僕は少し涙目だった。


僕は2015年「医療という権威の奴隷であること」をやめた。
ここに来れたのは、なにかの啓示のように感じられた。


「権威の奴隷」でいることは、安心できるし、実に気持ちがいい。
そしてゾンビを殺すように、「奴隷からぬけだそうとする奴隷」を殺そうとする。
自分の信じている権威が「正しいと証明する」ために、造反するものを殺そうとする。
権威への忖度である(笑)。

僕は2型糖尿病である。「家族が可愛そうだから糖尿病だなどと言うな・酒がまずくなる」と何度言われたことか。2015年に医師に「眼底レーザ凝固手術・インスリン治療」しなければ失明すると言われた。

しかしその道は選ばなかった。愚かであったかもしれない。今も辛い。果たして食事で僕の体はピンピンコロリの人生を全うできるのだろうか?

考えてみてもらいたい、(医師も含めて)私達は死する運命なのだ(死という宿命の奴隷)。それを逃れることはできない。
そして「生活習慣病」を逃れたいために「医療という名の権威」の奴隷となるのだ(生活習慣病から逃れることが出来ると言う御神託)。

これを二重の奴隷と呼ぼう。


死から逃れることはできない。それは望むすべのないことである。

そして生活習慣病は本人にしか向き合う方法は見つけられない。ピンピンコロリの人生は迎えることが出来る。そう信じている。

奴隷であることを自覚したらもう奴隷ではない。そんな生き方を僕は見つけたい。




この日の夕方、「石塚左玄先生」を研究なさっている「岩佐勢市先生」とお会いした。
記念館の話になった。午前行ってゴロリとしてきたことをお話したら嬉しそうになさってくれた。


素敵な記念館であった。「あわら」に行ったら訪れると良い。

すぐそばに「だるまや」さんがあるので「どんりん」買ってお土産にすると良い。


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