幸運な病のレシピ( 2745 ):#スパニッシュオムレツ #手羽先炙り焼き #魚 #サンマ飯

【2021年11月3日】少し時間が押してしまった、スパニッシュオムレツは好きな料理だ。たっぷりの玉ねぎとベーコンに人参ピーマンが入る。汁はキャベツとシャブシャブ肉、ギスをもう一階唐揚げにした。魚と手羽先の炙りや機を一緒に作った。みりんと醤油で炙ると美味しくなる。サンマ飯は焼いたサンマと生姜の炊き込みだ。

お裾分け3日目である。丁度娘さんがでていて玄関の鍵がかかっていたが、Sさんが歩いてきてあけてくれた。昨日はベッドでぐったりしていたので、ちょっとびっくりである。そのまま皿に乗せて食べだした。

介護は辛い。一日も休めないし変な客が来ると言葉巧みにコインやジュエリーを買ったりすす、流石に変物を売ってはクーリングオフがあるが、買って持っていかれたらもうだめである。うちの父の所にもそう追う方が来たことがある。偶然僕がでたので阻止できたが、コインや切手を持っていかれるところだった。お金を返して取り返してお引取り願った。

老人は人恋しいのである。対策はかんたん、そういった物をおいておかねばいいのだ。そうすれば話をいくら巧みにしても阻止できる(笑)。大事な思い出の偽慶長大判は奥深くしまっておいたので大丈夫であったが。もう自分では銀行に行けなかったのでオレオレ詐欺には安全であったが。

運な病のレシピ( 2745 ):スパニッシュオムレツ、サンマご飯、魚、栃尾の油揚げの照り焼き

【2021年11月3日】少し時間が押してしまった、スパニッシュオムレツは好きな料理だ。たっぷりの玉ねぎとベーコンに人参ピーマンが入る。汁はキャベツとシャブシャブ肉、ギスをもう一階唐揚げにした。魚と手羽先の炙りや機を一緒に作った。みりんと醤油で炙ると美味しくなる。サンマ飯は焼いたサンマと生姜の炊き込みだ。

お裾分け3日目である。丁度娘さんがでていて玄関の鍵がかかっていたが、Sさんが歩いてきてあけてくれた。昨日はベッドでぐったりしていたので、ちょっとびっくりである。そのまま皿に乗せて食べだした。

介護は辛い。一日も休めないし変な客が来ると言葉巧みにコインやジュエリーを買ったりすす、流石に変物を売ってはクーリングオフがあるが、買って持っていかれたらもうだめである。うちの父の所にもそう追う方が来たことがある。偶然僕がでたので阻止できたが、コインや切手を持っていかれるところだった。お金を返して取り返してお引取り願った。

老人は人恋しいのである。対策はかんたん、そういった物をおいておかねばいいのだ。そうすれば話をいくら巧みにしても阻止できる(笑)。大事な思い出の偽慶長大判は奥深くしまっておいたので大丈夫であったが。もう自分では銀行に行けなかったのでオレオレ詐欺には安全であったが。

幸運な病のレシピ( 2741 ):レバニラ、鳥地獄、ハンバーグ、汁、魚、お裾分け7号

【2021年10月28日】お持ちする先は母父の頃から庭の手入れをお願いしている庭師さんで、お母さんと一緒にお暮らしだ。なので3つお裾分けする事にした。レバニラと鳥地獄(ソテーしてソースに絡める)とハンバーグを作った。サイドはジャガイモと人参のバターソテーに魚。やはりこれだけを一気に作るのは辛い(笑)。
サンプルをお持ちしてから魚が抜けているのに気がついた。慌てて持っていった。くたくたになって夜の部のプールは休んだ。

お裾分けというのは自分の食べるものを隣近所に差し上げることだ。とても大事なことでかつては当たり前にされていたことなのだ。そしてもっと大事なことは人と人との結びつきだ。私達はサンゴのコロニーに多くの生命が共生するように、地域で生きている。それは行政が行うように単に冷凍の弁当を補助するだけでは出来るものではない。

僕の母はいつも近所の人にお裾分けしていた。
知り合いで一人で人生を送っている人とのつながりを大事にしたのだ。Uさんという母子家庭の方とのことを思いだすと僕は涙が止まらない。当時母子家庭などというのはとんでもない話だった。噂では、お妾さんだったと聞く。新発田の赤線地域の傍に小さな手芸店を営んでいた(1960年の売春禁止法以前は賑わっていた地域である)。息子さんと2人で暮らしていた。母はいつも裁縫道具を買いに行っていた。息子さんの成人式には僕の持っていた背広を差し上げたらとても喜んでくれたという。やがて息子さん(なにかの障害があった)は早くに亡くなり、手芸店は近隣に出来た大手のお店に客を取られてしまい始める。
母が亡くなった後で父が歩いて行って話をしてきた。どんな話をしてのだろうか。母の供養になっただろう。
数年前から、お店の前を通るともはやそこはお店はなく空地になっている。そして昨年父も亡くなった。

小さい頃、お店に一緒に行ってきれいなボタンを探しては母にねだっったことをよく覚えている。使うことのなかったボタンは今も家にある。一度、実家に遊びに来ている所で、マーちゃんいつもボタン探していたねと笑っていたことがあった。誰の記憶にも残らない父母とUさんの思い出はもはや想像することしか出来合い。

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