幸運な病のレシピ( 476 )深夜:夜半一杯やってもうねるところの父

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』はこちら『幸運な病のレシピ』はこちら
人生痩たり太ったりSeason2、Season1はこちら



【 2018/6/2の食事 1:40の出来事 】

もう何年も前から、父は夜中に起きて一杯やる。
母はいつも心配していた。

「夜中に起きて一杯やっているんだよ」と小声で相談する母に、「今まで一生懸命働いてきたんだからそのくらいいいさ、きっと自分で飲めなくなくなれば止めるから飲ましてあげましょう」というと、「そうだね」と安心して少し笑った。

その母ももういなくなっって3年めである。

時折、夜中、電気がついているときは顔を見に行く。
今日はもう飲み終わる頃で、眠そうだった。


飲み始めたくらいの時はいろいろと話をする。
楽しそうである。
庭の話、子供の話、仕事の話、昔の話をする。
思いもよらない事を聞けることもある。
前に聞いて、もう忘れたと言っていたことを突然話し出したりする。

心というのは不思議である。

酒をやめろというのではなく、できるだけキチンとつまみを食べながら飲んでもらいたいと思い、なにかに用意している。

「自分はまだ飲める、元気だし大丈夫だ」と思っているんのに「やめろ」と言われれば、頭に来る。
駄々をこねるし喧嘩にもなる。
10年近く前に運転をやめてもらう時、いろいろと考えさせられた、
無論、日常的に止めてもらいたいこと(春の草刈り、夏のドブさらい、空きの焚き火、冬の雪下ろし)をしたがるのは仕方がない。
今までやってきたことなのだから。

多くの事は、僕が先にする事で父はしなくなった。
そんなことをする必要はないと思うのは僕の判断であり、父には父の判断がある。

年令に関係なく(外見でボケてるからとか認知症だからとか言わないで)、誠実に向き合うことが重要だと思う。
別に年を取ったからと言って人でなくなるわけではない。
子供だから、未熟なわけでもない。
人は皆自分に見えているものだけが正解だと思いがちである。

実際に父の思っている理由が正解だと感じることも多い。


実感する。





数年前に事業に失敗してた時に父は僕の命を助けてくれた。
今度は僕が助ける番だ。
と言っても、「あたわり=寿命」は変えられない。望んでいる人生を最後まで続けることが出来るように力を尽くす。

「毎日の食事」を作る以外に僕にはなにもできない。
果たして僕の食事は父を助けているのだろうか、そして「この食事」はいつか、僕を、家族を助けてくれるだろうか。
介護しているなどと思ったことはない、自分のために自分を生きているのだ。

そんな気持ちで毎日の食事を作る。


晩御飯を(夜の一杯のために)少し残して小皿に入れて、酒を継いで飲んでいる。
見ることもなくテレビをつけている。









最近、皿を洗うようになった。
流しのゴミも捨てる。
トイレも汚し方(おしっこを外す)が少なくなってきている。

すっかりと散歩はしなくなったが、頭ははっきりしている。
体重が少し減ってきている。
これは朝食をヨーグルトに変えたせいだろう。
おかずの量を加減しているので、夕食も残すことが少なくなってきている。


酒の量も少なくなってきている。
前は5日で2リットル飲んでいたが今は一週間で2リットルである。
「酒は百薬の長」という言葉は父にとっては正しいのかもしれない。


人というのは不思議である。

僕は父のような齢のとり方が出来るだろうか。
いつも考える。



1081518