グローバル経済が奪おうとしているもの、googleの自動運転自動車に想う。

余りにおめでたいお話で頭がさがる。

佐々木紀彦×宮台真司のお二人がこの話題を話している。4分30秒〜8分50秒位まで。
(途中まで聞いて呆れ果てて聞くのをやめたので後のほうで言っていたらすんません。)



日産などのグローバル企業がgoogleと組んで自動運転タクシー(自動運転自動車)を開発している噺である。


この自動運転タクシーが街を走る時、市民は便利になったということであろう。
自動運転タクシーはスマホで呼ばれた時に迎えに行って、目的地で客は降りる。
決済はスマホで行う、タクシー強盗も失業である。
そのまま、自動運転タクシーはジーっと次の呼び出しを待つ。
流しは必要ない。

恐らく、時間で課金するシステム(運転手の時給を払うため)はなくなる。
東京から新発田までのタクシー代はおどろくほど安くなるだろう。


タクシー会社も大喜びである、面倒な運転手の管理が必要なくなるのである。



自動運転自動車は、タクシーや代行運転の市場を奪い取ろうとしている。
それが狙いだとなぜ話さない。
気がついていないのならば、おめでたい話である。

タクシーの代金で一番コストがかかるのは運転手の給料である。
それを無くする代わりに、タクシー会社は上納金をgoogleや自動車メーカーに支払うのである。

その土地ではたらく人間の職を奪い、利益を吸収すると言うのはグローバル企業のやり方である。
タクシーの運転手が失業したことなどに考えも及ばないのだろう。

そしてタクシー会社も、やがて消える。配車の手配、運転手の労務管理が必要なくなったら、経営者が一人いればいいのである。自動運転タクシーは整備が必要になったら勝手に整備工場に行くのである。次は経営者も要らなくなる。ただ金を投資する誰かがいるだけでいい。


レンターカー業界も消えてしまうだろう。



確かに、自動運転タクシーは事故を減らして、人々を安全に目的地に導くだろう。
一回の使用が300円程度になるとしたら、僕らは自動車を持たなくなるかもしれない。

やがて、人々は自動車を持つのではなく、必要なときだけ自動運転車を使うようになるのだろう。
自動車を持つのは一部の金持ちの特権となるだろう。

そしてその分会社は給料を下げることが出来る。


確かに、産業構造が変わる時に失業は回避出来ない。
しかし、遠い未来にどんな社会が待っているかを考えた時に、その過程でどれだけの人が不幸な思いをするのか考えなければいけない。

テクノロジーの進歩を否定するわけではない。それにより便利になり、浮いたコストがグローバル企業に集中していくことが問題だと論じている。
法人税がどうして下げられるのだ!

1980年台のイギリスの炭鉱閉山の事を描いた一連の映画がある。
ブラスという映画では、閉山してコミュニティを破壊された人々の姿が描かれる。
2014年の現在、30年以上の年月は彼らを忘れさせるに十分である。
その時代はもはやノスタルジーでしかないだろう。

しかし、今も多くの人々は苦しんでいる。
未来はバラ色なのかもしれないが。そこに行き着くまでに苦しむ人間がいたとしたら、そんな未来はなんのためにあるのかわからないだろう。
ドフトエフスキーがカラマーゾフの兄弟で展開した神の不在証明である。
僕はバラ色の未来の不在証明を感じる。

確かに、グローバル企業の経営者にとってのバラ色の未来だろう。

しかし、99%のこの地で共に行きている市民にとっては「安くて便利な悪夢」である。そして、自分の番が回ってくるまで悪夢であることには気がつかない。


最近街の床屋さんはドンドン消えていっている。
1000円カットのお店が出店して皆そこに行く。

1000円カットのお店では安い賃金で理容師さんが働く。遠い何処かの経営者が儲かるのである。
最近、僕が小さい頃から通っていた床屋さんに行っている。
そこで過ごす時間は心やすまるものがある。




多くの企業が海外に生産拠点を移して利益を上げる。
うちの田舎にも、日本中に商品を売っている企業がある。
かつては多くの市民を雇っていた。
今では海外に拠点が有り、地元の人々は働くところを失った。




農業を大規模化していくことで競争力をつけると言いながら小規模農家を潰していく。
失業した農民はパートタイムの農業に従事していく。
そして、日本の農業は原価で、はるかに及ばない海外の生産地に負ける。
全ての農業は消える。
私達はアマゾンが売る弁当を買うことになる。


そんな未来には、地方にはアマゾンの通販物を運ぶ運送会社のドライバーだけしか必要ないのだ。


そして、住民がすくなっていった土地には、核廃棄物の置き場になる他の道はない。
世界中の核廃棄物を集めることになる。
国はそれを進歩と言うだろう。



企業は儲かればいいのだろうか?

その地で「経営者と社員が(家族として)共に生きる」というのは愚かなことなのだろうか?


仕事ってなんなんだろうかと考える。
人は生きるのに仕事が必要である。
消費だけの人間などいない。
仕事がなくなれば、人々は消える。


皆消える。
仕事がなくなったら、ブラック企業に勤める他ないのだが、田舎にはそんな仕事ですらない。
人口が減れば、そこにも居場所はない。

老人の養護施設、アマゾンの荷物を配達する会社と新聞と郵便の配達、市役所とガス会社だけが残るが、人口はドンドン減少していくだろう。物を生産する力を失った地方は人のいない、箱物だけの街になる。

そして、市役所もガス会社も消える。公共サービスは維持できなくなり、皆消える。


大手スーパーも消える、店舗も経験豊富なレジのパートも必要ないアマゾンに叶うわけがない。
CGCに代表される卸会社は大手スーパーでなく、アマゾンにおろし始めるだろう。



コンビニも消える。
コンビニでは、既に通販を始めている。
コンビニは単なる情報端末の置き場となる。
それもすぐに消える。

最近コンビニに300円以下の冷凍弁当が売られている。100円の冷凍焼きそばが売っている(これがまた旨い)。




店舗も経験のある店員も必要ないアマゾンに値段で勝てるわけがない。




「百年しばた」の課題である。

この地に僕の子供達は生きていくことが出来るのだろうか?

鬼才テリー・ギリアムは「12モンキーズ」の中で人類が死滅する未来を予測している。この映画では遺伝子操作された細菌が原因であるが、僕達の社会は『グローバリズム』がその役割をする。気が付かない間に私達を蝕み、後戻りできない社会に変えていくのだ。

まさに、グローバル経済は今の日本の人口減少の基である。

これから百年で『み・ん・な・消・え・る』のである。

無論、利益を吸い上げる消費者も消えて、安く物を作る人々も消えた後で、グローバル企業も消えるのだ。

人類滅亡の序曲である。僕は死んでいるだろうが…….(笑)。




憂鬱である。



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