幸運な病のレシピ( 2029 )朝 :「サバ、鱒、アジ」一匹 100円、地場物の魚を捌いた、サバの味噌煮、魚焼いた、マユのご飯、「後片付けを科学する」、「しばたの物語」

【 2020/4/19の食事 】

●魚を捌くのは億劫だ。最初は生き物を殺している感がどうも気持ち悪かった。
つくられている魚を買うことも多いが、1匹100円の魚を買ってくることがここ数年多くなってきている。

f:id:masaya50:20200419095245p:plain

●地元のスーパーが仕入れてくるのだ。全県チェーンのスーパーはバイヤーが忙しく、店長は社員のコントロールで忙しいから中々地場物を仕入れることはない。
地元資本の商店から進化したスーパー店主がバイヤーで気に入ったものを仕入れるから、お店の個性が出る。
おそらく冷凍工程を通っていないのだろう。最高にうまい。味噌煮は味が少し甘めに出たが美味しくあがった。


www.youtube.com

●考えてみると、小さい頃魚をさばくのは父の役目だったと思う。
母が亡くなった時に厨房を整理したらサビだらけの出刃が出てきたが三条(車で1時間位の刃物街)刃を研いで、柄を変えてもらったらとてもいい包丁だった。
息子に遺品として受け取ってもらうことになっている(笑)。

f:id:masaya50:20200419095648p:plain

●ハタハタやノドクロを袋一杯で100円とか行って売っている。
正直、これは捌くのが辛いが美味しい。
バイヤー(妻)が仕入れてきたものに文句は言わない。


f:id:masaya50:20200419095706j:plain




「しばたの物語」



僕が15年前に一緒に働いていた父の実家の平野屋は、「乾物・お惣菜」を扱っていた。新潟を2分するスーパーチェーンに「ごま豆腐・くるみ豆腐」を出荷していた。乾物屋さんでありながら、お惣菜を作り出したのは先代のおばあちゃんだ。
●その頃、お店でお惣菜など売っていなかったのだが、市場街の中心にあったお店で天ぷらを売り出したら市場街の商人に売れだして、ごま豆腐やくるみ豆腐を作り出して料亭などにも卸すようになっていった。
●そのお婆ちゃん(僕にとっては叔母さん)と、全県チェーンのスーパーの創業者の奥さんが友人で、そのお店で扱ってもらえることになった。とは言ってもまだ商店がスーパーに変わりつつ有る頃で最初の一店舗目だった頃だ。
●僕は小学校の頃そのお店にお使いに行って、何から何もまで剃ろうことに驚いた。
●一番驚いたのは卵のパック売だったと思う。他のお店では新聞紙で5個ずつ卵を棒状にくるみ売っていた。年間1000万円売上があったのが7年で300万円まで落ち込んだ。やがて、創業者のお婆ちゃんは亡くなって、お店ではうちの商品をやめて、もっと単価の安い所から仕入れることになった。
masaya50.hatenadiary.jp

グローバリズムは別に世界の果てとここの話ではない、努力して隣の店より多く売ろうとすることだ。しかし、互いの顔が見えないグローバリズムは、人をクズのように扱い、自分の財産を増やそうとする。天罰が当たれば良いのだが、神様は何もしなくなってもう何十年にもなる。
●僕が平野屋でベーコンを作り出した時はちょうどその頃だった。ネットでベーコンを販売しようと企画して補助金を受け取って店舗を改造した。
●従兄弟の社長の手伝いをした。天ぷらは野菜のエキスの溶け込んだ油で揚げると旨いと知ったのもこの頃だ
あの7年間は勉強になった。忘れることは出来ない。
グローバリズムが地域の経済を破壊していった過程だ。
当時新発田の大きな地元の卸問屋の社長が首をつった。僕の中学の同級生は料亭の負債が多くなったのだろうが首をつった。

●豊かだった町中の飲み屋は郊外の駐車場の有るお店に取って代わられた。
農業も同じ、農業だけで食べていけなくなり、地元の工場で働いたりするようになる。
僕が働いていた工場にも家で農家をしている人が居た。
masaya50.hatenadiary.jp

●それでいながら、いい場所に土地を持っていた農家の人はマンションや商業施設に土地を貸し納屋に高級車を持つ地主になった。
●そういう幸運に恵まれない人たちは、広い土地と大きな家を持つ「時給で働く労働者になった。
●市長を後援して都市計画を知り、農家から土地を買い叩いた宅輩もいた。日本全体がお大きく変わっていった時代である。携帯もなく、ウインドウズ95が出たばかりの頃だ。
●格差は簡単な基準では測れない。


あ、僕も首吊る準備しなくっちゃ。

masaya50.hatenadiary.jp



「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay