幸運な病のレシピ( 1990 )朝:豚丼風炒め、ホッケ味醂漬、鮭、味噌汁、マユのご飯

【 2020/4/4の食事 】

地産地消という言葉は1980年代に役人が作った。

いい言葉だとおもていたのであるが、作られた背景を考えると農業が崩壊していった過程が見えてくる。
僕は「百年しばた」と言う運動を主催している。前の市長に会ったことがある。彼が「地消->地産」と言うべきだと話した。
「消費者が選ぶようなものを農家は作れ」ば良いのだと言う意味だと聞いて呆れ返った。市場において競争に勝てないものを作る農家は駄目だという考え方だ。なるほど、地域農業が崩壊するわけである。
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農業政策を見てみれば、地元の生産物を世界に発信するという。

世界中がそんな事したらどうなるというのだ。
新潟の米が他県の米市場を破壊するとしたら、その県の農家が崩壊するではないか。

日本でいくら大規模農家を目指しても単位200円の原価である。東南アジアでは50円だ。
太刀打ちできるわけがない。
おまけに単一作物の栽培は換金作物を原則にするので文化が崩壊する。
「バナナと日本人」と言う名著の中でフィリピンでバナナのプランテーション化が彼の地の文化を破壊したことが記述されている。

エビと日本人 (岩波新書)

エビと日本人 (岩波新書)



市場経済が悪いわけではない。

個々の努力が革新を生み新たな生産力をもたらすことがあることも事実だ。
ソニーもホンダも町中の商店だった。しかし、努力が報われる時代はもう終わったのだ。
食事をするたびに数円という単位で集まる金がアグリメジャーの富を増やす。従順な消費者が大金持ちを生んでいるのだ。答えはどこにあるだろうか?

市場経済は賢い消費者で構成されなければ悪貨が幅を利かす。
とは言っても、僕も安い食材を買う。生活が苦しく生きていくのもやっとなのに偉そうなこと言われても仕方がない。
どこに問題はあるのだろうか?おまけに「家族」という食事作りを維持するシェルタもバッサリ跡形もなく消え去った。
しかしそれも仕方がないことだ。


ワンコインの食事が災厄へと私たちを導く

しかし、時間が来れば半額になるワンコインの食事が「年取ったら何種類もの薬を飲んで手術を繰り返し、輸液・経管・胃瘻の人生の終わり」に繋がっているとしたらワンコインの食事は果たしてそんなに安いものだろうか?

明治期の食事哲学者のは「身土不二」と言った。考えてみれば、社会が変わるときに警句を発していたのである。常に社会は変わる。50年後を見てみたいものではある。

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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay