幸運な病のレシピ( 1971 )昼:トンカツ、ピーマン揚、キャベツ、ブロッコリー、チャーシュー
【 2020/3/3の食事 】
トンカツが美味しく出来た
いつもよりちょっとだけ「ドロ(衣の内側の卵と小麦粉)」の量が多くつくように作った。塩コショウも強めにした。パートに出かける前の妻が食べて、「あのスーパーのお店の肉ってこんなに美味しかったっけ」と言った。喜んでいいのか悲しんでいいのか......
ピーマン塩振るのの忘れてしまった。「私ピーマンに塩振って食べるね」と言われた。
正直なのが取り柄なのだろうと諦めることにしてもう20年経つ。
それでも食べてくれる人が居るのは嬉しい
いつか、一人の厨房で自分しか食べない料理を作るのだろうなあ。
などと言うと、「やっぱ私が先なのね」と言われる。マユも悲しげである。
何度も離婚を話し合ったが、少し落ち着いている。
還暦だからな。
今の社会の仕組み
私達はいずれ施設でひとり死ななければならない。それが今の社会だ。
せめて人様の世話にならないで。ピンピンコロリと生きていきたいい。
それには「素材から作った、自分に合った食事」が大事だ。
豚バラ肉のチャーシュウ
今回は人参を素揚げして一緒に煮込んだ。沸騰させないで一時間である。最高だ。一杯やりたい。
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父の食事、イチゴにヨーグルト。
ほぼ何も食べれない。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay