父と暮らす:タバコを買いに行くと家を出たので引き止めた。

朝食を食べて、実家に戻るかと思ったら通りに向かっていこうとする。
どこに行くのかと効くとタバコを買いに行くという。

元気なのは嬉しいが、タバコ早めてもおらうことにして、以前話をした。
その時はわかったというのだが、又吸いたくなったようだ。

自由に生きていってもらいたいから、財布も預かってはいない。
しかし、以前発見したように布団に入りながらタバコを座れては困る。

「次にタバコを吸っているところを見つけたら、施設にはいってもらって僕は死ぬ」と話をした。
本気である。
じっくり話をして、諦めてもらえると良いのだが、また思いついたようにタバコを吸いたがるのだろうなあ。
辛いものである。

欲望はどこにあるのだろうか?
僕らは叶うことのない望みを胸に生きる囚われ人なのだろうか。
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3時位にに父が来た。
まるで何もなかったように昼食に来た。
はてさてどうするだろうか?
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人は欲望とともに生きる。
「欲望を感じなくなった人生」は、価値はない。



施設にはいって静かにしていられない老人は、では安定剤で黙らせられる。
一日ボーッとしたまま過ごす。
これは致し方ないことだ。
薬学的なロボトミーだと(施設に努めている)友人はいった。




一番の問題は、欲望のために、様々な手練手管を遣い、ディールするのだ。
そして最後はブチ切れる。
子供も老人も、国も政府も同じだ。

どうすれば良いのだろうか?
共に生きることを伝えなければ乗り越えられないのだ。


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