父と暮らす:父の回復、お願いしたことを覚えていることに気がついた。認知症という「フェイクな病」が二重に私達を苦しめる。「寛解」とは何であろうか?

認知症というのは、年を取ることと同じ様に「人の当たり前の状態」だと考えている。
多くの場合暦年齢とともに進行するが、そうでない場合は別の話と考えたい。

その人とともに暮らす上で、問題は話している内容が相手に伝わらないことである。
相手に内容が伝わっているかどうかを私達は「相手の行動の変化」で判断している。

いくら言っても「行動が変わらない」場合、相手を『異常』と判断するのだ。



免許を返上してもらうのに随分苦労した。
秋に庭木で焚き火をやめてもらうのに苦労した。
いくらでも困ったことがあったが、もう随分落ち着いた。
多くのことを諦めたのだろう。

最近、爪楊枝を自分から使うようになった事に気がついた。
食事が終わったら、ウトウトする前に帰る様になった事に気がついた。

なぜ、父の行動は変わったのだろうか?

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先日、本人は食事をしたあとで打とうとしていることを気がついていないのだろうと思った。
なので、気がついていないだろうけど、寝ているんだということをわかるように話をした。

その話を覚えていれば行動が変わるのだと思った。
話すことを諦めてはいけないと思う。
相手に伝わる言葉を探さなければならない。


そして、食事で、今の状況で安らかに生きることが出来るまでになれると思う。
元に戻るということはできないだろうけど、今の状況で最適な姿になろうとすることは重要なことだ。
寛解」と言う言葉はそういう事を言う。

食事こそが、「寛解への道」だと信じて毎日作り続けている。
僕自身のためである。









相変わらずトイレでは小便を便器の外に外すが、仕方ない、トイレの掃除は毎日の日課である(笑)。


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