「幸運なマユのレシピ」 ドッグフードの宣伝にはびっくりする。これって、私達のこと書いているよね(笑)。

このコピー(後述)には腹抱えて笑っちまった。

「犬のために計算された栄養素」って何だろうか?
犬の食欲は「無限大」だそうだけど、人の食欲はそんなに節度あるものなのかい?

これって、健康のために作られた私達「人間」の食事のことを読んでいるみたいだ。



一番違和感があるのは、「計算された栄養素」という所。
「栄養」てなんだろうかと考える。
反対語・同義語・類義語はなんだろう?

どんな計算したんだろう。多分(「仕入原価+製造原価+運賃×賞味期間」)/満足度 =>利益率
乾燥工程は長持ちさせて、炭水化物は誰も(陸生の哺乳類)が大好きである。
そしてブドウ糖は細胞生命(酸素を使う)の共通の通貨なので商品としては最高だ。




以前、栄養士の書いた記事で「計算されて作られた食事を残すな」と言う記事があった。

「給食ハラスメント」というものがあるそうだ。
僕が小さい頃、給食食べない子は残されていたなあ。
その子は誕生日が遅くて、からだが小さい子だった。あのイメージがものすごく有る。

学校という音は暦年齢で一括するから、実際の成長年齢との格差は大きい。
一人一人にあっていない食事を年齢が同じというだけで強制するのは拷問だ。





権威というのは、それに属する人間さえも騙す。
政治的に正しい栄養学」が、好ましい人生の終りを迎えさせてくれていないことは明白な事実だ。
ほぼすべての高齢者は認知症と診断され、ガンや循環器系の病気で管をつけられ、関節を痛がり録に歩けなくなり、辛い10年を送って死ぬ。

今は若く、元気な「医者や栄養士」も例外なくこの道を進むだろう。
病の老人を「言うとおりにしないからだ」と自己責任を問うだろうが、従うことの出来ない支持に何の意味があるだろうか?


「バランスよく食べれば健康になる」と言う命題は「健康でないのはバランス良く食べていないからだ」という自己責任にすり替えられる。



問題は「どうしたらバランス良くっ食べることが出来るか」という個人の直面している問題に共に立ち向かわない姿勢に有る。
医師や栄養士は採点するが、ともに生きることはない。





問題は、皿の上に並んでいる食材の種類ではない。

調理するプロセスにある。

乾燥工程を通った食事は生命のミイラでしかない。

問題の1番はそのミイラの食事が「美味しくて、満腹になる」というところだ。
本来、「食物連鎖という生命のつながり(輪廻、転生、代謝)」を断ち切るのだ。

そして、身体というコロニーは、しれなりに維持される。
そこが問題の2番である。

身体というコロニーに棲む細胞(とマイクロバイオーム)たちは身体の状況など関係ないのだ。
ただ周りの水分を受け取り、自分の当たり前の反応をしているだけなのだ。
食事をして、体内の水に多くの生命を迎え入れること。
それでこそ、活力ある身体というコロニーを維持できる。


多くの生命に溢れた食事を毎日作ろうと思う。
そんな時、彩り鮮やかなサンゴ礁を僕はイメージする。
魚、肉や野菜汁にしたり焼いたり揚げたり食卓には皿が並んで大にぎやかだ。




確かに、塩むすびもいいけどね。
ああ、パスタ食べたい。
ご飯は(安いし)美味しい、そして細胞生命は渇望する。それが問題だ。



犬は人間のごはんが大好き
当たり前のことですが、犬と人間の食べ物は違います。わんこのごはんも手作りごはん派のご家庭もありますが、ドッグフードを与えているご家庭の方が多いですよね。

しかし、犬は人間の食べ物が大好きです。肉や魚などの食材の匂いがより強く、調味料や油分などを使用しているためよりおいしそうに感じるのでしょう。飼い主さんの手や膝に自分の手やアゴなどを乗っけてみたり、食べている飼い主さんの周りをウロウロしてみたりして、モーレツな「ちょうだいアピール」をするわんこも多いことと思います。

毅然とした態度で
飼い主さんの行動としては、毅然として人間の食べ物を与えないことが正解です。犬のために計算された栄養素のドッグフードの方が、犬にとっては健康食であるためです。犬の食欲は無限大なので、一口与えてしまうともうキリがなくなってしまいます。

しかし、わんこにしてみたら「なんでボクだけ食べられないのだろう…?」としょんぼりしてしまうかもしれませんね。ごめんね、これもキミの健康のためなんだ!


ネットニュースより