今日の血糖値事情、久しぶりの自己測定。検査値はマーカーでしか無い(相関関係は有る)。「合併症の原因ではない(因果関係はない)」と考えないと筋が通らない。
今日は一日忙しかった。
昼時にご飯を食べそこねて、16時に蕎麦とカレーを食った。
ゴールデンコンビである。
大体1.5人前の蕎麦を茹でて、3日位で食べる(あと少し残っている)。
カレーがなくなったので卵かけて食っちまった。
2時間後で220mg/dlである。まあ、こんな物だろう。
おそらくピークには300mg/dl近くまで行くと思う。
夕食を作り、そのまま夕食に突入。
味付け牛肉の炒めをお変わりしてみんな食べた。
血糖値は244mg/dlになるが、220mg/dlからの食事開始である。
つまり、食事の血糖値に対するアップは20mg/dl程度である。
かなり下がってきている。
おそらく「糖尿」で排出されているのだろう(テステープがなくて測れなかった)。
2015年当時とほぼ変わらないプロファイルである。
つまり、僕というコロニーの中でのキャッチボールは上手く行っている。
1時間に10mg/dl落ちていき、120mg/dlくらいで落ち着く。
A1cはそこそこの数字になる。
以前は「高血糖の状態」が悪いと思っていた。
今でも、医者は平気で「血糖」が血管を傷つけるという。
だから、食後高血糖になる人も薬飲めという(早期介入は金になる)。
しかし、眼底網膜症にしても腎不全にしても、血糖値が高くない人にも起こる。
高血糖だけがこれらの合併症を引き起こすわけではない。
たとえば「高尿酸値(痛風)」の人が突然、腎不全になる場合もある。
眼底網膜症は高齢になると、検査値が正常でも起こる確率は高い。
これはどういうことだろうか?
高血糖はたしかに問題を起こす。
I型で、インスリンを打たないで発生する高血糖は死に繋がる恐ろしいものだ。
しかし、II型の場合は、そうではない。
基礎分泌が残っていれば(もしくはそれに対応するインスリン受容性が残っていれば)、そして食事を適切にすれば、危険水域に入るような高血糖は起こらない。
身体にはインスリン以外に高血糖を回避する機能がある。
まさに腎臓からのブドウ糖の排出である。
この機能を私達は「病気の表れ」と考えている。
しかしそれは違う。
検査値の異常は「身体というコロニー」の「食事」に対する当たり前の反応なのだ。
そこで次に出てくる問題は、「合併症」と呼ばれる様々な災厄をどう考えるかである。
この生活習慣病というやつは、厄介なことに特定の「栄養素」との因果関係が見つけられない。
1960年代に医学が大きく勝利した「単純な欠乏症」のようなメソッドでは対抗できないのだ。
特定の原因(食事)と疾病の間の因果関係が成り立つためにはかなり特殊な状況が必要だ。
まだまだ続くのだが、少し忙しいのでこの続きはまた今度。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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