幸運な病のレシピ( 1573 )夜:イワシ煮付け、牛はらみ味付け肉、汁
【 2019/9/21の食事 】
朝と昼は、妻と娘に作ってもらった。嬉しいものだ。
打ち合わせ後、新潟まで服買いに行ってきた。
楽しかった(笑)。
帰りにスーパーで買い物してきて、食事作りに突入である。
汁は通常作成夕食の一番のメイン
白菜が安くなってきたので嬉しいものだ。
旬の野菜が美味しいのには訳がある。
野菜の中に身体という「生命のコロニー」にとって有益なものが含まれているからだ。
静かに沸騰(パスチャライズ)させ、適切な加熱をすると美味しいのはそのせいだ。
父の食事 ー朝 ー
娘の作ったチャーハンを食べた。
持っていったら嬉しそうにしていた。
みんな平らげている。
父の食事 ー 昼 ー
娘の誕生日なのでお寿司と蕎麦を作った。
妻が仕事で夜はいないので昼にご馳走である。
妻の弁当にフライパンでの焼きサンドを作った。
「フライパンでの焼きサンド」がだんだんレシピとして完成してきた。
masaya50.hatenadiary.jp
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客先行って帰ってきてから少し仮眠して、父の昼食を用意して新潟に服買いに行った。
眠くて死ぬかと思った。
父の食事 ー 夜 ー
骨格は一緒、少しひねってある。
イワシは食べてくれるかなあ、骨を抜きやすいからいい。
朝の鶏の唐揚げ、牛ハラミのホイル焼き、昨日の刺し身、盛りだくさんだ。
少しずつ沢山お種類をもる。煮付け煮しめ(数日で食べる)を加えることで多くの種類になる。
そろそろ煮付けを作らないといけない。
今日も飲んじまった。
昼食に蕎麦創りすぎたので、みんな食わねばならないと思い、調子が狂った。
天ぷらまで買っちまった。
何がこんなに苦しんだろうか?単なる甘えなのだろうか。
誕生日のケーキまで食っておる。
父と半分分けにする様に言われたのだがみんな食っちまった。
美味かった。
昨日の食後かな?いつの写真だろうか(笑)
何を食べて、何を残すかはとても大事なことだ。
食事は身体の延長だ。もしくは身体は食事の延長かもしれない。なかなか難しい。
「身体という延長された表現形」を取って食事は現れる。
哲学的である、ドーキンス的である。
目に見える生命は、マイクロバイオームの操るコロニーである。
食事もセックスも、社会の規範も宗教も、家庭も家族も文学も、喜びも悲しみも、過酷なこの惑星で生命を維持するための「食事」が現れたものである。
太陽のエネルギーを植物が炭水化物(デンプン)に積み込んで、動物は「脂質」と「タンパク質」に積み替えて運ぶ。
しかし、炭素と水素を運ぶコンテナとしてのブドウ糖は最も効率がいい。
動物にとっては「脂質」「タンパク質」となる。
動物と植物は乾燥に対抗してマイクロバイオームを守るコロニーなのである。
個体の死は「身体というコロニー」にとっては、悲劇であり悲しみである。
しかし、そのコロニーで生きているマイクロバイオームにとっては日常的な(単なる)引っ越しに過ぎない。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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