幸運な病のレシピ( 1487 )朝:味噌手羽網焼き、ワラサ麹漬け、三角揚げネギオーブン、味噌汁、父の爪切り
【 2019/8/19の食事 】
サワラは麹と塩につけて一晩置いた。
なかなか美味しくなった。
明日はどうなるだろうか。
三角揚げは安売りになっていると買う。
ネギと醤油の味が美味しい。
味噌汁は、具をたくさん入れる。
父が元気になってきたかもしれない。
ヨーグルトも食べるし、ご飯も3日前に比べると倍は食べている。
さっき歩いて家に来た。
歩けるのだ!
一月半ぶりくらいだ。
ちょっとおかしなことを言っていたが、かなり昔の健康診断のことを思い出しているようだ。
メタモルフォーゼが終わったのだろうか?
朝8時位に、食べると言うのでご飯持っていった。
11時にヨーグルト持っていった。
14時にご飯持っていった。
びっくりすることに自分で爪切っていた。
何よりも驚いたのは、ステテコはいていた。
今まではフンドシでプラプラさせても何も気にしていなかったのに.......(さっき家に来た時にはいていたのだが)
流石に足の爪は切れないから、ニッパ型の爪切りで僕が切ってあげた。
庭を眺めながら他愛もない話をした。
しかし、この数日が嘘のようにはっきりしている。
声の感じも、目の動きも、表情もしっかりとしている。
ご飯食べてくれた。
次は暗くなってから持っていくことにした。
そばを持っていったら美味しそうに食べてくれた。
何度もこの蕎麦はどこの蕎麦屋のものか聞く。
父の実家の青葉の蕎麦屋の名前を思い出そうとするが、思い出せない(笑)。
話している内容も意味はわかる。
コンサルタントの秘密という本の中でワインバーグさんは、他社の理解できない行動をいかに理解するかということを書いている。
簡単に「ボケ・認知症・精神異常」と決めつけるのは簡単だろう。
自分に理解できない行動を切って捨てるのではなく、その脳裏に広がる世界を想像したい。
ますます、「フレイル=メタモルフォーゼ説」に一票である。
おそらく、臓器のいくつかがもうダメに成り、その事を察した他の(生命=マイクロバイオーム)が、それぞれに自分の場所で形を変えていったのだと思う。
個々の生命は他の存在を知らない。
新しい「身体というコロニー」の中で(生命=マイクロバイオーム)が新たな関係を構築しようとしているかに見える。
点滴やチューブからの栄養補給はコロニーが新しい恐々に適応(進化)しようとするのを邪魔するのではないか?
ガンで、食べれなった時に新しい環境に適応しようとしているとは考えられないだろうか?
今の生命科学は、一回出来た細胞はしっかりとそのままの形を持ち続けると考えている。
しかし、多くの現象を説明できない。
常に、自分の周りの環境を感じ取りながら、様々に変化しつつ適応していっていると考えたらどうだろうか?
膜タンパクも新たに作り外界のセンサーを磨き適応していっているとしたらどうだろうか?
発生してから一回死んだらもうおしまいの細胞の意味もわかる。
特にホルモン系の分泌する組織に多い(僕の大好きな膵臓とか甲状腺、心筋、神経細胞系=目鼻口耳)。
生命は入れ替え可能なパーツで出来ているわけではないということである。
再生治療がうまく行っていないことも分かる。
色々と面白い。
当然のことながら、こういう事を言っているヒト(専門家)はいない(笑)。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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