幸運な病のレシピ( 1460 )朝:唐揚げテリテリ、だし巻き卵、塩サバ、塩鮭、ブリ味噌漬け、味噌汁、 「家事分担はやってはいけない」お話あります。

【 2019/8/7の食事 】

だし巻き卵は難しい。

複雑な手順、臨機応変な対応、何度も繰り返していくから出来るようになる。
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魚は三種

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昨日のから揚げをテリテリにした。

結構美味しい仕立て直しだ。

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味噌汁はキャベツ。

この季節のキャベツは味噌汁向きだ
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【家事分担は、やってはいけないお話】
食事作りは命に直結する。やがて、人生のパートナーは亡くなって、一人で生きなければならない。
社会はそうなってしまったのだ。
その時(一人っきりになった時)に、自分の分担が皿洗い担当だったらどうなるだろうか?
「オニギリとチューハイの老人」になる他ない。
すべて自分一人でできなければならない。

女の平均寿命が長いのはなぜかと言えば、男が死んだあとでも「素材から食事を作る」ことが出来る。
これから、その2つの寿命は段々近づいてくる。
男も女も同じように店で売っている食事を食べて生きているからだ。

家事の分担をディールの道具に使うことも厳禁。

ディールとは自分の欲望を相手に飲ませるための取引なのだ。
老人になるということは、家族と共に「衰えていく自分に、満足しなければならない」のだ。

家庭というのは、欲望を満たすための小さな檻であり、侵襲的に我慢することを強制する。
セックスにしても、買い物にしても、休日の過ごし方にしても、人生をともに生きるということは困難だ。
他人と比較することは不幸を倍増させる。
海外旅行に自家用ジェット、SNSやTVでは「勝ち組」を面白おかしく喧伝する。
上を見れば果てしなく、下を見ればきりがない
私達の多くは、自分自身に我慢しなければなならない。

すべての仕事を一人でやってみることだ。

もし、自分ひとりで出来なければ辛い死に方をする。

私達は孤独の中に死ぬ他ない。
死ぬまでの10年を施設で毎年健康診断と老人医療で点滴と投薬で健康に生きるかまっぴらだ。
死ぬならば思い出に囲まれて、庭を眺めながら人の世話にならないでひとり静かに死にたい。




「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。




今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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