父の食事から「生命」を考える。食事を残すことはとても大事な選択、あなたをあなたらしくする。
昨日は蒸し暑かった。
起きているのも辛い。父はクーラーを嫌う、扇風機も使うことはない。それにはなにか理由があるのだろうが、昔からである。
こういう日は、食事にうちに来ないことも多い。湿度が関係すると思う。
僕は食事を残すのは「賢明な行為」だと思っている。
何を食べて何を食べないかは、その人の重要な選択である。
食器を下げて何を残したかを確認すると「身体というコロニー」の中で何が起こっているか分かる。
好き嫌いは「あなたらしさ」を担保している重要なものなのだ。
家族のいう「出されたものは全部食べなさい(私が手ずから、あなたのために作ったもので、家族はこれを食べて元気に生きている)」言葉
と
医師や栄養士の言う「給食は残さず食べなさい(誰にでも効果のあるものを年齢に合わせて大量生産している、そしてみんな癌になったり認知症になっても私のせいじゃない)」という「栄養学の傲慢さ=生活習慣病という自己責任」は自ずから違う。
この日の食事を見ると分かる。残したところで特に心配することはない。自分で食べれなくなったらその時が寿命だと、父も僕自身も思っている。
なので父は夏に痩せ、秋に太る。
汁はほぼみんな飲んでいる。
ブタの肩ロースのシャブシャブ肉が入っている。
ご飯とキャベツにヨーグルトはみんな食べる。
帆立貝は嫌いだ、刺し身は好きだが昨日は「漬け(づけ)」にしたハマチだったので生臭かった。
赤いのはエビの佃煮(食べないほうが良い砂糖の塊である)
イワシは少しだけたqべた。
生臭いものを避けている。実に賢明である、食中毒棄権を回避している。
そして酒を(ほとんど)飲んでいない。
ヒトは生命(マイクロバイオームのコロニー)であり、食物連鎖(輪廻)の中で生きる。やがて死にマイクロバイオームが地に帰して、生命の連鎖との一つになる。