幸運な病のレシピ( 1386 )昼:血糖値の上がらないオム焼きそば、鶏のから揚げ、トマト、ところでムーラン見たい
【 2019/7/8の食事 】
血糖値が上がらないと言っても、「糖質の入っていない麺」や食ったような気にさせるフェイクフードでもない。
腸でブロックして吸収させないブロッカーでもない。
たっぷりの肉と野菜で一人前の麺を4人で食べる。
満腹にならないと食事は終わらないので、目玉焼きで包んで唐揚げを添えた。
もちろん、トマトもである。
僕が満足する食事、焼きそばは 1/4人前
そんな食事は、身体というコロニーに必要十分な「栄養=医学が分析していない多種の分子化合物=代謝物」を持ってきてくれる。
美味しいということがその証明だ。
炭水化物は魅力的だ。
抗えない魅力がある。
乾燥した組織は、肉屋や野菜の旨味を吸い込んで一体化する。
そして身体というコロニーの維持に必要なブドウ糖を運んできてくれる。
美味しいのには意味がある。
しかし、「商品化された食事」は「大量生産=乾燥工程」を通らなければ出来ない。
「商品化された食事」は誰もが大好きで商品としては最高だ。
しかし、そこには致命的な問題が有る。
「商品化の工程」を通る時点で、食材である生命が紡ぎ出している様々な代謝物が欠落するのである。
まるで生命のミイラである。
私達は「食物連鎖」というセーフティな生存環境から抜け出すことが出来た。
「料理」という文化を見つけたのだ(「言語」のように)」
そして、「料理という文化」は新たな環境に対して変化することで新たな道を見つけてきた。
50年前まではである。
「グローバリズム」というコミュニティのあり方が大きく社会を変えた。
その文化を維持してきた「家庭」という枠組みを失ってしまったのだ。
もしかしたら「ヒトというコロニー」自身の存在の危機かもしれない(笑)。
果たして、「乾燥・濃縮・抽出工程」を通らない「食事」を、素材から(毎日)作ることが出来るだろうか?
家族という欲望を閉じ込める小さな檻を再生することができるだろうか。
宗教的である。