幸運な病のレシピ( 1376 )朝 :ししゃもフライ、厚揚げグラタン、イワシ、鮭、味噌汁、自己責任と納得する「格差社会」はこの80年で出来上がったという考察あります。

【 2019/7/4の食事 】

厚揚げが余っていたのでベーコン牛肉と一緒にグラタンにした。

レタスの色が悪くなっていたので一緒に合わせて炒めてオーブンで焼いた。
結構と嬉しいボリュームになる。
当然、ペンネ(炭水化物)などよりも物足りないが、良しとしよう(笑)。
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youtu.be

トマトを切って朝食

ごてごて乗って、なんか余りキレイではないが美味しい。
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自己責任と納得する「格差社会」はこの80年で出来上がった。

僕は生活習慣病の根本的な問題はこの80年間の社会の変化に有ると考えている。
そしていろいろと考えを延長していくともっと恐ろしいものが見えてきた。
どうやら僕に見えているものをもっと多くの人に伝えたいと感じている。

80年前には「ここまでの格差」が生まれるほど社会は豊かではなかったのだ。
皆同じ様に苦しかったし、大した金の使いみちもなかったのだ。

そして、学校の成績が良い順に社会の要職につくという「1960年台のルール」のメンタリティは残り続けたのだ。

しかし、自動車の発達が、まずは「ローカルなグローバリズム」を発展させた。
「スーパー」が出来て、自社の商品が大きく売れることになる。
製造と販売を同時に行っていた豆腐屋が、「スーパー」に販売を委託することで大量生産を始めることが出来たのである。
結果、隣町の豆腐屋を倒産に追い込み、自分の豆腐屋で失業した従業員を雇い、工場となり、利益を出して商店はメーカーになったのだ。

この時代は「優秀さ=富」であった。



しかし次の段階(親が切り開いたビジネスをぼんくらな子供が引き継ぎ、優秀な番頭を雇う)に至ると様相が変わる。

つまり、資本と経営の分離である。
このステップでは従業員と会社の所有者の距離が大きくなるのだ。

何が起こったかというと、「年功序列・終身雇用」を守る必要がなくなった。
だって、従業員はただの道具だからな。


海外の工場の方が安いならばそこで作る。

これは当たり前だ。

けどね、地元でともに生きてきた社員はみんな路頭に迷うじゃないか。
もし、家族が企業であった時代ならばそんな事はできなかった。
お爺さんが、隣町の商品が安いからといって「息子と孫の首を切って」隣町の商品を仕入れて売るなどということは出来まい。

海外に生産拠点を移しまくっていた時代は、裏切りの時代だ。
会社の経営者が同じ土地で住む私達の首を切って外国の人々を劣悪な環境で働かせて平気だったのだ。
まさに人でなしの経営学である。


しかし、そうしなかったら自分の会社が倒産する。
まさに、勝者は一人なのだ。

無論昔からあったことだ。しかし、ネット(情報)と移動手段(商圏の拡大)は大きく様変わりさせた。



しかし、出来上がった「社会という構造」は壊れようがない。
過去の遺跡を築いた文明を考えれば分かる。
格差は絶望をうみ、絶望を表現する人々により社会は崩壊する。

徐々にテロの狙いは正確になるだろう。
やがてくるテロ(死を持って絶望を表現するヒトが致命的な破壊を生むだろう)による崩壊を待つ他ないのだ。



昨日より少し減った。

体重というわかりやすい検査値も生活の当たり前の反映なのだ。
僕は酒を飲まないと一日300g体重が減る。
masaya50.hatenadiary.jp

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問題はいかにして酒を飲まないかである。



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