幸運な病のレシピ( 1284 )夜:汁、朝の残り、「後片付けを科学する」昨日の晩からの後片付け

【 2019/5/28の食事 】

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朝頑張って「ハンバーグと鶏のから揚げ」を作ったので、汁のみであった。

ちょっと忙しかったので朝から片付けが溜まった。
後片付けは色々と考えさせられる。
妻は弁当詰めてパートに出かけた。

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食材の豊富な「水=生命にとって必要な多種の代謝物の水溶液」をいかに大事にするかが問題だ。
皿の上に並んでいる料理の材料ではなく、その皿の「料理になるまでのプロセス」が問題なのだ。
そして何が自分にマッチしてるかは「美味しい」という感覚が教えてくれる。

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父は毎日僕の食事を美味しいと行って食べてくれる。
ほとんどが前に作ったものだ。

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僕もほぼ同じものを食べる。

家族全員で、一人ひとりに最適な食事を育てていくのだ。
子供もやがて老人になる。
そのプロセスで必要になるものが異なっていく。

誰かのためでなく、自分のために人を助ける(助けるなどとはおこがましいが)。

家族で食事を「育てていく」という思いが浮かんだ。
もう少し展開しよう。


商品化された食事は「売れ残らない事+利益」を考える。

安全衛生は勿論のこと、大量生産、品質の均一化が求められる。
「乾燥・濃縮・精製工程」そこに「冷凍・運搬技術」「関税障壁」が関わってくる。
無論、天然素材を1から作るのもいいだろうが現実的ではない。

世の中の「レシピ本」などみても、口先ばかりで到底毎日続けているとは思えない。
「食の安全生に関しての警鐘本」などは、恐怖を喚き散らしている点で医者の妄言と似たりよったりである。

僕が楽しく読むのは「体験談」である。
普遍的な結論を導き出している「スティマ本」は別にして、頑張っている姿には感銘を受けることが多い。
巧妙にサプリメントやトクホを売ろうとする本なども多く少し気をつけることが必要。
無論サプリメントが行けないわけではない。誰にでも効くものがないということを理解しておいたほうが良い。

「幸運な病のレシピ」は僕がどんな食事を食べているかという「単純なレシピ」ではない。
いかに食事作りが大変なのかということを体験しているドキュメントなのだ。
そして、食事に対するポリシーが出来上がっていく過程だ。
初めた当時から随分いろいろな変化があった。

そして、本当に後片付けが大変なのだ。


お店の弁当やら,コスト安く簡単に美味しく調理できる「パスタやらカップ麺」で満足を買うのも一つの食事の姿だ。

忙しい私達には仕方がない。

食費から生活のコストは下げられる。


生活習慣病」が貧困の病と言われているのはこのせいである。
一食、数千円のコストを掛けることの出来る方々は幸せである。
それでも、好きなものオーダーし続けたらさほど変わりないことになるだろうなあ。


「家族というシェルタ」は欲望に対する制約でもあるのだ。
これがもっと大きな問題である。

そして食事を共に食べるということは大きな意味がある。
「餌」を食っている訳ではない。
マイクロバイオーム的に考えると面白い。

なんとかやりくりして、時間をかけて「素材の持っている水(=生命)」を大事にした食事を作るだけの価値はある。








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