幸運な病のレシピ( 1269 )朝 :ぶり照り焼、身欠きにしん煮しめ(タケノコ、人参、ごぼう、大根、エリンギ、コンニャク)、鶏のから揚げ、味噌汁

【 2019/5/23の食事 】

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今日は妻が遅番なので弁当がいる。
こういう時は鶏のから揚げである(笑)。
手軽で美味しい。

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ぶりは焼いた後でフライパンで照りをいれた。
美味しい魚なのだがさめると「生がえる(生臭くなる)」のでこうした方が好きだ。

これは「食事の価値」のお話だ

煮しめ、煮付け、煮っころがし」、色々な言い回しがある、区別はあやふやだ。
「根菜」と「鳥や魚」などをダシ、醤油、砂糖などで煮る。

お店でもよく売っている。1人前200-300円でヘルシーを好む風潮からまあ、よく売れる方だろう。
原価は40%として100円前後で「材料・加工費、容器代、運搬費用を賄う。
炭水化物もさほど多くはなく(根菜は種と同じで多めだが嗜好品ではない)好まれる。

こうやって手間を掛けて素材から作ったものも、1人前300円で売っている煮しめも「皿の上の食材」は同じかもしれない。
コスト的には、作った煮しめ合計で材料費は1000円(5人前)程度、一人前200円だが、後片付けや作る手間賃は入っていない。
売っているオカズは、容器を捨てるので後片付けはしなくていい(プラスチック容器の廃棄コストは社会全体で負担している)。

そして、作られるプロセスが全く違う。

大量生産の煮付けでは、食材を別々に煮て(蒸して柔らかくすることもあると聞く:要出典)、ダシ汁につけて出来上がりである。
早い話が、一回ミイラにして、乾燥・抽出工程を通っただし汁につけて出来上がりである。
栄養士や医師は皿の上の材料を分析して「太鼓判」を押すが、「料理」というものを分かっていない。

素材から大事に作った「食事」と「ミイラを水で戻した食事」は全く違ったものである。
そして誤魔化すために「誰もが大好きな炭水化物」ドッサリの「食事」の一部分になる。
コストが安くて、健康そうで、いくら食べても満腹にならない「スカスカ」のオカズ。
誰もが大好きで満腹になる「炭水化物」。
この2つの組み合わせが「ワンコイン弁当」で利益を出しているのだ。

そしてそんな食事は「身体というコロニー」に必須の『生命=細胞の内外に溢れる水に溶け込んでいる医学が分析していない化合物』を追い出すのだ。
ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、これらは「病=治療に始まりと終わりのある身体のトラブル」などではない。 薬ですぐに落ちる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)は医師のドル箱だが、「身体」の「食事」に対しての「当たり前の反応」なのだ。
つまり、商品化された食事が私達に「災厄」をもたらしている。

そして問題は、解決する手段が「素材から食事を作ること」か「買って食うならば、もっと高いもの(で炭水化物抜きで満腹になれる食事)を食べる」ことなのだ。
忙しくて生活に余裕がない私達には難しいお話だ。



【作り方】

この手の料理は、煮汁が「なくなるまで加熱する」か、「スープ状に残すか」で違う。

今日は身欠ニシン(五分乾き)が安売りになっていたのでタケノコと合わせることにした。
今回の「身欠ニシン」の場合は、水はほぼみんな飛ばす。
最後にごま油を垂らして照りを入れる。


一回、汁に出ていった様々な材料の旨味をもう一回吸わせて戻す。

戻った時に一緒に煮た食材の持ち味が合わさりコラボになる。
「大量生産お惣菜の煮付け」では出ない味だ。


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酒に砂糖を溶かして、最初は生姜を入れて煮きってしまう。濃い目に醤油で味を入れる。
ここの味がベースになる。
砂糖を入れるのは甘さを出すためではない。味を強く出すためだ。甘味料(フェークフード)ではこの効果はない。
そしてこういう砂糖の使い方は「嗜好品的」ではない。なので怖がってはならない。
炭水化物は毒ではない。


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鍋が小さかったので大きな煮付け鍋に移した。「鍋底」の広さは食材が「上下に重さならない広さである。
この手の料理を作る時は鍋の選択が重要だ。
すべての食材に均一に煮汁が回ることがh実用だからだ。シチューとは違う。


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落し蓋をして煮込んでいく。汁が少なくなると上の方の食材が顔をだすので落し蓋で汁を回す。
皿でもキッチンペーパーでも良い。


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このくらいからしっかりついていてあげる。
ごま油を垂らして食材電体に照りが入るように何度も鍋返しをする。
煮汁を少しだけ残して火から下ろす。



販売されているお惣菜は見た目キレイに具材が並んでいないと商品としては売れ行きに関係する。

しかし、それぞれの持ち味が出され、一つの味の汁になってもう一回それぞれの中に吸われ新しい味になる。
これが美味いのだ。そして、盛り付ける時にその人が好きなものを盛り付けることが出来る。
作るプロセシスも食べるプロセスも違う。



しかし、私達は忙しい。作り方も片付け方も、手間ひまかけて作ったものの味もわからない。
お店で買った物しか食べたことがないとそんなもんかと思ってしまう。

エビデンスも偉い先生の研究も存在しないが、僕は「食事の価値」を信じている。自分の命は自分で守る。


素材の切り方から煮始める順序(僕はあまり気にしない)から一回一回違った味になる。
その味と手順を思い出しながら今回も作る。
少しずつ変えながら楽しむ。
金のかからない娯楽だ。

高いレストランでの高級料理より、自分で作った自分にピッタリの味こそが嬉しいものだ。
それを見つけるためは長く時間がかかる。贅沢なことだ。
そして失ったものは、探さなけれな見つからない。


まあ、面倒なことは良いから食べにおいでよ。
美味いんだよ!

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父の食事
家族みんなが「素材から作られた食事」を食べる。父のための特別な食事ではない。
自分にあった食事を食べるのだ。
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昼近くに父が来たので用意した。
トマトが美味い季節になってきた。





今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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