「COVERS」(3)パンチングメッシュのザルは指を切らない

フェースブックにはカバー写真を設定することが出来る。皆それぞれに気に入った写真をアップロードしてコメントを書く。僕は厨房仕事に欠かせない道具をカバーすることにした。COVERSというのは僕の大好きな音楽家のCDだ。有名な曲の「替え歌」が演奏されている。料理のレシピというのは大昔から家庭でそれぞれに奏でられている音楽のように思う。誰かに習い、毎日奏でる。皆同じ様に見えながら二つとして同じものはない。私達一人一人が違うように。「商品化された食事」は自分らしさを殺す。自分らしく生きるために僕は今日も道具たちと厨房に立ち、料理を作る。このシリーズはこちら


「シュウカツ」といえば「就職活動」を思い浮かべたものだ。昨今では「遺品から人様に笑われたくない」ために自分の人生を取り繕うことを言うようだ。

湯灌された時に、恥ずかしくないように「デベソの整形を受けたという話」をなにかで読んだことがある。

僕は本やDVDが好きで数多くある。「価値のあるものだ」と、いくら言っても、家族には死ぬ前に片付けるように言われる。

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かつて一つの厨房で家族が生きて、そこにある道具を一緒に使っていた時代があった。
年老いて、自分の世話をしてくれる若い世代が自分の使っていた道具を使い季節の食べ物を作りサーブしてくれる。
ときに新しい味を嬉しみ、懐かしい味に思い出を重ねる


この写真の3つのザルは、今年20才の娘が小学校に入る年に(実家の隣に)家を建てた時に母に買ってあげた。
ホツレ始めていた針金のザルやプラスチックで形成されたザルを使っていたので便利だろうと思いかった。
 
3年前に母が亡くなって父は一切台所ができないので、実家にある使えそうなものを持ってきた。
 
まるっきり新しく見えるものが、母に買ってあげたものだ。
「もったいない」と言って僕のザルはビニールに入れてしまってあった。
そして、母は昔からのザルを使い続けていた。

 
実家にはボロボロになったザルがいくつか残っている。どうにも捨てられない。母の残したザルの「終活」は僕が死んだあとになるようだ。
  
母から受け継いだ出刃包丁は、いつか娘に使ってもらいたい。
 
我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ
masaya50.hatenadiary.jp


 
 
  
ところで、こっそり「隠してあるAV」や「歴史的価値のある裏本」はどうしたら良いのだろうか。
こっちは息子にというわけにも行かないだろうなあ(笑)。
死ぬ予感がして、捨てた後で死ななかったときは「死より恐ろしい喪失」に襲われるのではないだろうか。
著名人が記念館を立てる気持ちがよく分かる。