3月の終わりに雪が降った。「庭いじりの贅沢」

雪の朝、煮付けと味噌汁を作り終わって、実家の掃除をした。

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雪で寒そうな梅の写真を撮ろうと思ってカメラを持って外に出た。

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ちょうど母の友人が歩いていた。
お父さんの足が悪くなって歩けなくなったので(通りの向こうの)施設に入ったということだ。
母がしていた様に煮付けをおすそ分けした。
母が僕をよこしてくれたと言ってくれた。
涙が出てきた。

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庭の写真を撮っていたら父が出てきたので写真を撮ってあげると言ったら、ポーズした(笑)。
毎日酒三合飲む90歳である。
あやかりたい。

僕はどんな年寄りになるだろうか。
生きていればだが。


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FBの友達のエントリーで苔玉の写真を見た。母が亡くなった年に苔玉を手に入れたことを思い出した。

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ローカルな企業とはどんなものかと思っていろいろと考える。土地が生産の基盤になっている農家はその典型だ。確かに工場なども生産の場所としては重要だが、基本的にはどこにあっても良い。資本と経営が分離して企業の意味も変わった。移民問題などもその観点から考えるのだがどうもすっきりしない。生産と消費、労働と生活、かつては分離できないものだったはずなのだが、分離され、市場化(サービスとして金銭的評価=比較・競争)された。
庭師さん(造園業)という商売は、自宅に庭が有る家がある時に生まれる商売だ。これって何を「サービス」として売っているのだろうか?なかなか考えさせられる。
 
昔はお祭りに農家や造園業の方々が露天を出したものだ。
母が亡くなった年の4月に、何かのきっかけで落とした梅の枝に花が咲いた。挿し木に出来るのかと思い市内から少し離れた所にある造園会社さんに訪ねた。いろいろと話ができて楽しかった。
 
かつて庭が多くあった時代に生まれ成長した産業(ノウハウ)だ。そして人々の生活に潤いを与える。時代と共に消えていくのかもしれない。
毎年、実家に来てくれる庭師さんと去年は一緒に庭の整理をした。

 
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僕より何歳か年上の方だが、木や草のこと、この庭のことをよく知っていらっしゃる。こうしたいああしたいというのと色々なアドバイスを貰える。ガーデンテクニカルアドバイザーとでも言うのだろうか。コンサルティングの技術も感じられる。そして、自分のしごとに責任を持っていらっしゃる。
 
いつも口うるさく文句を言っていた母の話をすると控えめに僕の知らなかたことを教えてくれる。
 
庭は人生を記憶する装置(タイムマシン)だ。姿を変えながら、生活を記憶して、未来に送る。
毎日庭を歩くたびに新しい発見をする。
 
母は贅沢な楽しみを残してくれた。
 

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