生活習慣病は自己責任だろうか?病は天罰と考えるメンタリティ。

こういう考え方は時折目にすることがある。
自分は大丈夫だという思い込みがこういう考え方を生むのだろうなあ。憂鬱になる。


ひどい話だ、このお偉い方は別でしょうが(一般論として)、昨今は生活習慣病に関して馬鹿な発言がおおい。生活習慣病は賃金が安く、共働きでまともな食事を作れない人たちの災厄なのだ。グローバリズムは貧乏人に炭水化物という満腹コストの安くて魅力のある(=売れ残こらない)食事を売る。その食事には細胞に必要な「生命=医学が分析できていない食物の細胞内外の代謝物」が圧倒的に足りない。20時過ぎに半額になっている惣菜や弁当の売り場に群がっている私達を見たことはあるまい。



生活習慣病が「贅沢」のために起こったのは昔の話だ。「大金持ちがいて」その金は「共働きでも満足に暮らせない私達」からピンはねしている。社会の歪が生んでいる。290円のランチ食べながら錆びついた工場で働く労働者。売上に追われながら300時間残業しながら立ち食いそばと牛丼ばかりで過ごす会社員。など見えはしまい。あ、みんな俺だ。 
年取ることは自己責任か?家族とともに生きる老後はおかしいか?医療費が高いなどとネボケたこと言うな。みな医者や医薬品メーカーの利益じゃないか。俺に失明を宣告した眼科はでかいビル建てて看護婦うじゃうじゃ雇っている。ロビーには白内障やら眼底網膜レーザー凝固治療査待ちの老人ばかりだ。年寄りに自分がしたくないような「手術して」、「何十種類もの良く効く薬」薬飲ませて金儲けは止た方がいい。やがて自分返ってくる。



母は亡くなる寸前まで「医者と薬屋」に入り浸りだった。何とか安定剤と便秘薬のお世話にならないように僕は食事を作り、そばにいた。何年か前に「視力が戻る」と思い込ませられて白内障の手術を受た。3ヶ月一日3回目薬さして目ヤニが止まらないと嘆き、何度も僕に今日は何回「目薬差した」か聞いた。やがてその事も忘れ、毎日のように視力の衰えを嘆いた。僕は思い出すと涙が止まらない。母に、目が良くなるからと手術を勧めたクソ野郎に腹が立ってやまない。
静かに年取って行くほうが幸せだ。だんだん体は効かなくなるだろう。友人も、ともに生きたパートナーも失って一人生きたところで何があろう。やがていつか川の流れの中に人は孤独に死ぬ。孤独の中で生きることを思えば死など恐ろしくはない。

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死ぬまで現役などと言って65過ぎてできることは時給の安い単純労働だ。年金給付遅らせて、無理やり働かせて、100歳まで輝くなどと言う気か。おお、少子化で単純労働の担い手がいないから一石二鳥だね。さすが優秀なお役人。
机に座ってハンコ押すだけの仕事で年収1000万円もらえるお役人様(とその一族郎党)は良いだろうよ。国会でウソの答弁してもでかい顔して退職金とあまくだりで万々歳の80代だ。そして子どもたちの年金 ATMとして介護施設で長生きさせてもらえるのだ。
おお、国家の介護政策のために年金使えるねえ。お役人が「薄給で臨時職員雇って」自分は高級もらう手伝いができる。素晴らしいエコシステムだ。
 
俺は負け組とレッテルを貼られる。目ん玉飛び出る様な多額の退職金も繰り返し天下りもできない。しかしな、そうやて金ためようが、お偉いお役人や政治家も医者も医療関係者も炭水化物横流しして稼いでいるフード・インク野郎も皆、クダにつながっれてありがたい高度医療のはてに苦しんで死ぬのだ。
 
一般論でございますが、高給取りのお役人のご立派な方々ももれなく、年老いて認知症と診断され治療(=薬もられてボーッと一日ひなたぼっこ)を受けながら施設で生きる。年金は子供が使ってくださるから長生きさせていただける・やがて咀嚼もできなくなり胃瘻が始まり高度医療は殺してくれない。老人は、介護施設の売上の元だ。僕の田舎の介護施設土建屋が立てる。ご立派な建物で恐れ入る。職員は低賃金でブラックな生活だ。年金額が減ったらどうする気だ。ああ、もうお前らも引退して薬もられているだろうから関係ないか。
 
僕の父は90歳、おそらく「認知症」と役人は診断するだろう。けどね、僕は「僕のことを僕だとわかる限り」父には家で暮らしてもらいたい。毎日酒を飲んで庭を眺め、過ごしてもらいたい。父の名義の土地を売り払いたい輩は僕を「精神疾患がある」という。介護の資格はないという。そうかもしれない。医療という権威を信じないで現実に向きあおうとしている。毎日食事を作って毎日2回父のトイレを掃除する。介護はプロに任せろとか、老人が家にいると人生の楽しみがないと言われるが、どこかに旅行に行くのがそんなに楽しいか?そんなに年寄りは邪魔者か?
僕らは誰かに助けられて生きている。僕は2型糖尿病という外見からははわからない「ショウガイ=普通の人と同じ生活ができない」である(薬や治療ではなく自分で作った食事で生きていくつもりだ。)。しかし、誰もがなにかのトラブルをか持っている。自分と異なった人を「目に見えない所に追いやる」のではなく、共に生きる社会の方が僕は好きだ。
 
自分が変わることでしか世界は変わらない。僕はもっと変わりたい、そして同じ価値を信じる人と出会いたい。
僕の見つけた食事の価値を子どもたちに伝えたい。
 
専門家など信じないことだ。自分の命は自分で守ろう。
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ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、これらは「病=治療に始まりと終わりのある身体のトラブル」などではない。
薬ですぐに落ちる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)は医師のドル箱だが、「身体」の「食事」に対しての「当たり前の反応」なのだ。



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この記事のことである。丸々医師の言うことをそのまま垂れ流している。もっと深く社会を見つめて苦しんでいる人たちの側に立ってもらいたいなどと無理な注文をする気はない。
患者の気持ちをわかってもらうためには、自分がそうなるほかないんんだろうなあ。

「生活習慣病は自己責任、うやむやはダメ」経産官僚語る:朝日新聞デジタル

 医療政策を所管している厚生労働省内には、「彼は国士だ」というと評価と「ペテン師と受け止められても仕方が無い」という見方が交錯しています。

 経済産業省の江崎禎英(えさき・よしひで)政策統括調整官(1989年入省)。その「プレゼン能力」を加藤勝信厚労相(当時)に買われ、厚労省医政局のポジションも兼務する異色の官僚です。かつて「犬猿の仲」だった両省の橋渡し役を担う立場にあります。

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江崎氏は、記者(手前)のインタビューに2回応じた

 昨年10月25日、都内のシンポジウムで江崎氏の講演を聞きました。よく通る低音の声で、立て板に水のごとくしゃべり、途中で巧みに笑いもとる……。講演の最後に流すのは、「ダニー・ボーイ」の美しい旋律に乗せた60秒のYouTube動画「生涯現役社会の実現へ」。

 「一番大事なメッセージは、80歳になっても100歳になっても今が一番楽しい。そのような社会をつくったときに、結果的に医療費は増えるんですか?」

 最後のスライドには、日本医師会厚労省経産省ロゴマークが三角形に配され、江崎氏はこれを「奇跡のトライアングル」と呼びました。厚労省のポストを兼務し、医師会にも足しげく通って人間関係をつくってきた自負がにじみます。

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講演で流した動画「生涯現役社会」では、最後に「日本医師会」「厚生労働省」「経済産業省」のロゴが配された場面が登場。江崎氏は「奇跡のトライアングル」と呼んだ

 主張の核は、糖尿病やがん、認知症などの「生活習慣病」の予防です。「食べ過ぎ(偏食)、運動不足、ストレスによる生活習慣病。これに対応できたとたんに答えは変わりますよ。この部分にアプローチできれば医療経済の常識をひっくり返すことができる」と、自信たっぷりに話しました。

 長生きすれば多くの人が慢性疾患にかかり、いずれ医療介護費は確実にかかる。予防はそのタイミングを先送りしているだけで、健康寿命は延びる可能性はあっても、医療費は削減できない――。そんな「医療経済学の常識」に真っ向から挑戦しているのです。

 著書「社会は変えられる 世界が憧れる日本へ」の中で江崎氏は、社会保障制度の状況は「太平洋戦争の末期に似ている」とし、「このままでは国民皆保険制度は遠からず沈没する」と予測。「部外者の立場」から方向性を論じています。

 「スーパー官僚」とネット上で紹介されたこともある江崎氏。記者(笹井、浜田)は経産省で2回にわたり話を聞きました。

公的医療保険を船にたとえ、「推進力を失い危機的な状況にある」としたイラスト。江崎氏が著書「社会は変えられる」や講演で使っている

医療費抑制できるのか?

陸の上に魅力的なサービスがあれば、「ほけん丸」に乗って公的医療費を使う人が減り、沈没回避を実現できることを示すイラスト

記者 現状を示すイラストは、「ほけん丸」(公的医療保険)に次々と人が飛び乗り、満員のまま滝の下へと落下しそうです。もう一枚では、高齢者が岸辺で運動したり肉を食べたり。「ほけん丸」はスカスカになり、浮力を取り戻しています。

 この2枚のイラストをみると、予防に努めて健康になれば、「ほけん丸」の重量すなわち、現在40兆円超の医療費は「兆円単位」で減るように見えますが、そのように主張されているのですか。

江崎氏はなぜ、あえて「医療経済学の常識をひっくり返す」という挑戦的なもの言いをするのでしょうか。記者が迫ります。

江崎氏 現在、不摂生な生活を送…