「宗教なき時代の政治学」(9)ディールと忖度の時代、小さい商店が消えてグローバル化した「行政と企業」が99%の市民を奴隷とする。

忖度(ソンタク)とは一般的な行為である。

私達は「空気を読ん」だり「顔色をうかが」たり「阿吽の呼吸」で打ち合わせもなく結果を出す。
コミュニティ(人の集団)とは自分の持っているリソースを提供して、共通の利益をあげ、配分を受ける。いじめもこの観点から見なければ問題の本質は見えない(いじめとは事件ではなく離脱できないコミュニティにおける関係性なのだ)。
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かつては、小さい企業が街中にあふれていた。農家もある意味企業である。
仕入れて、生産して売ることで利益を得る。互いに協力するときもあれば叩きあうこともあった。しかし、完全に追い詰めて破滅させることはなかった。家族が社員で、父が社長、子供は新入社員で毎日の生活はOJT(仕事覚えて大きくなった)なのであった。

共生の時代である。

その時代はここの事業主が自分たちが稼ぎ、税金を払った。
その使いみちを調整するために政治が存在した。共生する小さな事業体が政治の主体だったのである。
masaya50.hatenadiary.jp


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やがて、モータリゼーションが世界を一変させる。企業は食いつぶし合いを初めて優秀な社員を求めて高い給料を払うようになる。

やがて経営と資本の分離の時代となり、近代的な奴隷制度が姿を現す。
能力がないから低収入で生活もいっぱいいっぱい、結婚もできない。

そして能力のある奴隷は自分の奴隷を持つことが許される。
時折、社会が能力で個人を評価しているかのごとく見せるために「立身出世の成功談」を作り上げる。



企業においては社長は部長の選び、部長は課長を選び、またその下は下を選び、小さなピラミッドは連鎖していく。

上は下の行動を評価してコミュニティにおける分前を配分する。ソンタクとは自分のソントクを考えて行う当たり前の行為なのだ。

「公平で温和な君主制度」を望む人間は多い。おおよそ「右翼」とレッテルつけされる人たちはその傾向がある。
つまり、現状を維持することで自分に特があるのだ。何もおかしくもなく避難するべきでもない。

しかし、現実のリソースは限られている。
政治とは、限られたリソースの分配の手順である。その意味では「戦争」というのも政治の結果である。失われる市民の命より得るものが多いと双方が考えた場合起こる政治的な取引にしか過ぎない。


  1. 今日、市会議員の立候補者が回ってきた。

行政はたいへん大きな予算を持ち配分する。
そして動かす金額の多さによって給料は高くなる(笑)。
ただ委託された仕事をリスクなくこなしているだけなのにこれはおかしな話である。優秀な人間は高級でなければ雇えないという理屈なのだろうが........
一般的な企業ならば経営者は自分の財産を失うリスクを負っているのだから(著しく高くない限りは)納得がいく。しかし、行政や団体(政党から行政の外郭団体、NHKや労組の連合体などもこれに入れていいだろう)はちょっと違うような気がする。


「宗教」とは何かよく考える。
自分が属している忖度のピラミッドより大きなコミュニティが存在すると信じ、守るべき価値があると感じることである。
果たしてそんな物があるのだろうか。



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