黙祷、岡留安則さんが亡くなった。

だめだ、今日はたくさん飲みそうだ。

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泣けて仕方がない。

ご冥福をお祈りいたします。

lite-ra.com


噂の真相」編集長だった岡留安則が1月31日、死去した。「噂の真相」といっても、若い読者にはなじみがないかもしれないが、“タブーなき反権力雑誌”を標榜し、2004年に休刊するまで、マスコミが書けない皇室や警察、検察、政治家のスキャンダル、大物作家のゴシップなどを暴露してきた雑誌だ。

 森喜朗首相(当時)の買春検挙歴、安倍晋三首相のパチンコ業者との癒着や自宅火炎瓶事件の背景にあった暴力団との関係、則定衛東京高検検事長(当時)の愛人スキャンダル、宗像紀夫東京地検特捜部長(当時)のパチンコ業者による接待疑惑など、マスコミを震撼させるスクープを連発してきた。

 岡留編集長はその「噂の真相」をなんの後ろ盾もなくたったひとりで立ち上げ、度重なる圧力やトラブルにも一切屈することなく、25年にわたってその過激で自由な言論の場を守り続けてきた。

 岡留編集長の死去とその経緯については、本日夕方、「噂の真相」元スタッフ一同が正式に発表している。「噂の真相」には現在、公式サイトなどがないため、副編集長だった川端幹人や元デスクの神林広恵が編集スタッフをつとめている「リテラ」で、その全文を掲載する。
(編集部)

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 元「噂の真相」編集長・岡留安則が2019年1月31日0時16分、右上葉肺がんのため死去いたしましたことを、「噂の真相」元スタッフ一同より、ご報告申し上げます。

 2016年に脳梗塞を発症し、その後、肺がんが発見されたため、治療につとめておりましたが、力尽き、那覇市内の病院で息を引き取りました。享年71でした。

 岡留は、1979年3月に月刊誌「噂の真相」を自ら創刊し、以来、25年間、編集発行人として、権力を撃ち続けました。その間、東京地検特捜部からの不当起訴、右翼の襲撃、警察の家宅捜索、森喜朗安倍晋三との名誉毀損訴訟など、数多くの圧力やトラブルに見舞われましたが、一切屈することなく、言論の自由を守るために闘い続けました。

 また、「噂の真相」が2004年4月に休刊してからも、その姿勢はまったく変わりなく、沖縄の地に移り住み、基地問題をはじめ日本という国の矛盾を押しつけられてきた沖縄の現状について発信し続けました。

 岡留はいつもわたしたちに「体制が変わろうが、政権がどうなろうが、権力は信用できない。常に疑っていかなくては騙される。だから、知り得た情報をすべて市民に公開していくんだ」と語っていました。

 そのゆるぎない覚悟、そしていかなる困難も生来の明るさとアイデアで乗りこえていくかろやかな姿勢は、わたしたちスタッフから見ても唯一無二であり、早すぎる死に悔しさを感じるばかりです。

 本人も病床で最後まで安倍政権や辺野古新基地建設について憤りを口にしており、県民投票を前に力尽きたことは、さぞかし心残りだったと思います。

 ただ、救いは、岡留がもっとも思い入れのあった沖縄の地で生涯を終えられたことです。生前は「死んだら沖縄の海に散骨してほしい」と語っており、亡くなる直前には、大好きだった「花」を聴いて、涙していたそうです。

 いまはまだ、わたしたちスタッフも大きな存在を失った悲しみに呆然とするばかりですが、まずは、書面にて、お世話になった皆さま、ご交友のあった皆さまに、生前のご厚意とご支援、友情への感謝を申し上げる次第です。

 なお、葬儀はご遺族の意向により近親者のみで執り行われましたが、お世話になった皆さま、ご交友のあった皆さまとともに、岡留の思い出を語り合えるような場をあらためてもつことができたら、と希望しております。


2019年2月2日

噂の真相」元スタッフ一同


一番の勉強になった。

ページをめくるたびに、こんな見方があるのかと驚いた。
忘れられない。


さほど古い読者ではないが、東京時代は失業したり何やらで立ち読みしてたような気がする。
新潟に帰ってからは、置いてあるお店もなく、定期購読を始めたと記憶する。


アーカイブのサイトがあったような気がする。


御在命のうちに一度お会いしたかった。


喜納昌吉&チャンプルーズ - 花


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