幸運な病のレシピ( 911 )夜:牛丼の頭、イワシ仕立て直し(生姜テリテリ)、汁仕立て直し(ネギドッサ)

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/1/13の食事 】
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今日は所用のため、3時から作った。朝のイワシをテリ入れて仕立て直した。これは結構うまい。
ブリの切り身もあったのでこちらは焼いてからテリを入れた。



幸運な病のレシピ( 911 )夜:牛丼の頭、イワシ仕立て直し(生姜テリテリ)、汁仕立て直し(ネギドッサ)
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牛丼の頭は一番簡単(シンプル)な料理である。
炭水化物食べる人はご飯にかける。
僕は当然、ご飯にかけないで食べる。


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汁は昨日の仕立て直し。
ネギをドッッサリと入れて肉を足して食べる。
昨日までの具も生かす様にするのが仕立て直しだ。

ここまで来てくれた生命を大事にする。
「もったいない」という言葉は「部分に分析される事の可能な食事」の「経済の評価」ではない。
「生命=食事」の価値を信じる「信念であり宗教」である。

なぜならば、医学が分析できないものは存在しないのだからその影響を評価などできない。

しかし、「身体というコロニー」に受け入れられたあらゆる物質はあっという間に違う姿に代謝される。

血液検査で一瞬のそのまた一部を切り取ったところで1対1の因果関係が見えるはずがない。

「身体というコロニー」は巨大すぎるのである。組織特異性を担保して互いに相互効果を与え合う事(複雑系)の分析には限界があるのだ。

というよりも、そもそも1対1因果関係などというフィクション(白衣の妄言)は成り立たないのである。


僕は白衣を着た連中の妄言に命を預けるつもりはない。

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少し経ってから父が来たので、食事を出した。
僕が年をとり、施設で一生の幕を閉じる時、こん食事を用意してもらえるだろうか。
食事は、ライフスタイルであり、その「コロニーの望むもの」と「ヒトの心」の接点で生まれる。


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決して「体に良いという知識」で食事をしているわけではない。
しかし、昨今の商品化されて(コストが安く)誰でも大喜びをする「食事」は市場から選ぶほかない。
「家族というシェルター」を失った私たちの袋小路なのである。

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うまそうじゃろ。



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