美味しさの栄養学(1)食事調査の欺瞞、「塩分の取りすぎ」と「高血圧」の関係に関しての考察

数日前に気がついた。

僕が美味しいと思う料理は普通の人には「しょっぱくない」のだ。
どうやら、そのようである。

昨日の唐揚げなども、軽く塩をしているのだが、食べるときに醤油などがいらないように作っている。

僕は塩分と生活習慣病の関連を(医師が脅かすようには)信じてはい無い。
しかし、何rかの相関関係は認められるのかもしれ無い(これだけ多くの人が信じているのだから)。


昔、東北地方で塩分摂取量と「動脈系の関係性食事調査」が行われたことは有名だ(と何かで読んだことがある)。
しかし、塩分摂取量(購入量)と「災厄」の関係は「単純な 1対1 」の関係だろうか?

「桶屋が儲かる的」な「うがった」見方はできないだろうか?


僕の食事は炭水化物を積極的に取らない。

炭水化物に代表される「乾燥・精製」工程を経た食材は食べるときに塩分が添加される。

一物全体食的な食べ方は添加する塩分が少なくて済む。

そんなところに鍵があるのではないだろうか?


炭水化物は体内で「脂質に代謝される(変わる)」そして満腹が訪れる。

「乾燥・精製」を経た食材はコストが安く「満腹」にたどり着く。
商品化された食事(お店で買っても、家で作っても)はこうなりがちである。

その結果、「その人の身体というコロニー」に必要な「生命(食品分析で分析できない食事の要素)」が不足する。

慢性的で、「1対1」の対応関係のない災厄が訪れる。それを僕らは「生活習慣病」と呼ぶ。


この災厄を呼んでいるのは「炭水化物」だろうか、その人の身体に本来必要な「生命(食品成分表に乗らない要素)」だろうか?

それとも、その人にフィットした食事*1を「家庭で作れなくなった社会」にあるのだろうか?



つまり、塩分の摂取量と炭水化物の摂取量との相関性を考えなければならない。
長い連鎖の果てに因果関係が見えてくる。



食事調査とは

また、食事調査は困難であることもわかっておかねばならない。


僕の家の塩の購入量は多い。
「タケノコ」の塩漬けや「タクワン」を漬ける。
調理の工程で塩をふることも多い。
しかし、それらの塩は食べるときには皿の上には残っていない。


僕の食事の動画(「幸運な病のレシピ」)を見て、そのくらい塩分を摂取しているか分かるだろうか?
調査票に、僕の家族の塩分摂取量はどのくらいだと書き込まれるのかなあ。








ヒトの心とは


研究や健康提言には「ラーメンのスープを飲むな」と書かれていることが多い。
しかし、「なぜ言われなければ飲みたいのか」という研究はない。
答えは決まっている。美味しいからである。

問題は、「なぜ飲み干したくなるのか?」にある。
ではなぜ美味しいと感じるのか?
時とともに美味しいと感じるものが変わるのはなぜか
そこには、『「ヒト」は心で食べる』という当たり前のことがわかっていない。


「医学・栄養学・健康の研究」は「ヒトの心」を研究しなければならない。


普遍性がなく、個人的な、民間療法的でエビデンスに欠くと見えるだろう。
しかし、何を見つけたいのかわからない時は「予断」を持ってはならない。

医者の諸君、もっと文学を読みたまえ。


予断とは

僕はエンジニアである。
いつも自分の視点が予断に溢れているために失敗ばかりしている。
次に失敗をしないために(少しでもマシな失敗になるために)、今の失敗を見つめる。


失敗のない人生はない。
そして失敗がなければ、成功もない。



「誰かの言うことに従う人生」は失敗はないのだがなあ〜。
僕はまっぴらだ。








しかし、メディアは「政治的に正しい(ポリチカリーコレクト)」な記事満載である。これって、厚生省に忖度しているということなのだろうか(笑)。

www.nikkei.com
www.garbagenews.net






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*1:その人にフィットした食事:
嗜好品を避け、美味しいと思える調理方法で作る食事、かつては家庭で母が作ってくれた。しかし、社会の変化とともに、絶滅した。