幸運な病のレシピ( 845 )夜:ラムチョップ、クリスマスカップ麺

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/12/24の食事 】

クリスマスイブなのでワインを開けた。毎日こうなら良いのに。
ラムチョップは網焼きが良いようだ。中が赤みがあったので妻ように魚焼き機でもう一回焼いた。
こちらの方がうまい(笑)。
次の機会にはグリラーでやろう。
油の煙で旨味が増すだろう。


なんか一段落した。
父の足の爪を妻が切ってくれている。なんとも言えない気持ちになる。
クリスマスである。











一週間酒飲んどらん。炭水化物もなかった。

クリスマスカップ麺である。
もう一つのカップ蕎麦は年越し用である。
おせんべいも食った、酒を飲むとどうしても食ってしまう。

血糖値は上がっている(笑)。

血糖値が上がる食事は「生命」が不足している。
「健康=検査値正常」な「ヒト」は上がらない。

僕と同じ量の炭水化物を食べても血糖値が上がらないとは、考え方を変えればセンサーが壊れているのだ(笑)。

僕は血糖値エリートなのだ。


昔、炭鉱では酸素が欠乏しつつある事を知る為に「カナリア」を持って行ったという。

そしてカナリアの次は自分が死ぬのだ。逃げ出すか、社会を変えるかしかないのだ。


2015-11-26 糖尿病=「社会のカナリア」試論
2015-11-24 人工透析と糖尿病の類似点


炭水化物は「私というコロニーを形作っている生命にとって」魅力的である。
そして直接的(購入した場合の金額)にも間接的(食べるまでの手間)にも「満腹」になるためのコストが安い。
自由主義市場において、供給側にとって「商品」として魅力的(売れ残らない・利ざやが大きい)なのだ(合法的だから麻薬以上である)。

コストのかからない満腹は食卓から生命を追い出す。そこに問題がある。

「社会=自由主義市場=家族=宗教」というコロニー(コミュニティ)を営む「私」たちは、食事を営む時様々な尺度を持つ。

次の本の主題である。





日本を占領した進駐軍(占領軍)が「チョコとパンと砂糖」を「ばら撒いた」のは象徴的である(あ、チュウインガムもね)。

決して「全粒パン」など配布しなかった(笑)。
健康の為にばら撒いたのではない。ホタルを呼ぶように。アメリカという国が甘い水である事を教え、文化を破壊して、自由主義市場を「家庭」というシェルターの中にまで満たそうしたのである。

恐ろしいのは「戦争」と「援助」である。
一見すると豊かさを生んでいるように見える。
しかし、循環型の経済を解放する事で、その土地で生きる知恵を破壊して、生活習慣病という人生の終わりの10年を与える。

2013-04-15 食事の話 ......





隣の机の下に仮眠用の寝具がある(笑)。
少し寝て起きたので仕事始める。今日はクリスマスである。


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