幸運な病のレシピ( 737)夜:イカの一夜干しのアヒージョ

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/11/13の食事 】


イカ丸干しを食べることにして夕食の準備パート2である。
ワタも一緒に、アヒージョにしたら旨いものであった。
舞茸とネギと生姜である。
干すのは一晩で良い。
カレイの煮付けとタラコの煮付けは嬉しい。


父の食事、多彩な生命を少しずつ、しっかり酒も飲んでおる(笑)。

夜は妻がいなくて僕も少し忙しいので持って行った。
朝昼ときて食べて行った。寝て起きて、庭を眺めているだけなのだが、楽しげせある。
きっと、良い夢を見ているだろう。
あんな風に年を取りたいものでsる、

年をとるということはどんなことなのだろうか、先日母の日記(なくなるまで書き綴っていた)を見た。

日にちの感覚も時間の感覚もなくなり、今しかなくなるのだろうか。
父は、今日がいつだかも朝だか夜だかもわからないという。

今日も良い1日だったともいう。
考えることしきりである。







僕の食事、

ワインをたくさん進んだ暴走した。
カレーが作ってあったので一口食べたら、そば食いたくなって、昼のラーメン食べて、やりたい放題である。
酔っぱらいながら食べて作って、やりたい放題である。
まいったなあ。




この辺まではよかったのだが、ここから頑張ったのである。
やっぱ、カレーとそばの組み合わせは良いなあ。わざわざ大根おろしたりマメだなあ。





寝る直前に計っていた。この頃はすでに意識が定かではない。
「そんなになるまでお酒なんか飲みなさんなさんな」と母には言われたものである。
人生は我慢大会ではないと言っても、強度試験でもない(笑)。

食事に気をつけて、検査値など気にしないとは言っても、嫌な気持ちになる。


さっき、起きて計った。
今日は1日血糖値は高止まりである。
やっぱ、糖尿病なのだなあ。血糖値エリートである。
しかし、起きて小便をして計ったので、最高値は相当に進んでいると思う。
連続測定器が欲しいところなのだが、あれってタイマーでは計ってくれないからなあ。



4時くらいから一眠りした。
起きたところで小便をして計った。
尿糖が出て落ちているのかなあ。
計ってみればよかった。


炭水化物を食べたくなるのは、当たり前の身体の反応である。
高くなるのも、落ちるのも、あたり前のことなのだ。

合併症などと言って恐ろしがるが、どちらにしても何らかの形で死は避けられない道なのである。
そして、細胞にとっては、コロニーが「どんな死に方」で破滅するにしても大差はない。
小さな生命は絶えず分解され再生されている。


死という概念は人しか持っていない。
様々な「目に見える生命」も形式的にはコロニーの終焉としての「死」を持っている。
しかし、ヒトが感じる意味での「死」とは程遠い。



目に目えない生命(マイクロバイオーム)は増殖するときに自分のコロニーをブドウ糖で満たそうとする。
私細胞(精子卵子の受精に由来する目に見えない生命群)も同じである。
セックスと懐妊は単にコロニーを増やそうとするようなものである。
蜂は巣を作り、蟻がは大きなありつかを作り、サンゴ礁を作るのは目に見えないくらい小さなサンゴ虫である。


私というコロニーを作っているのは、あくまでも「私細胞」と仲間たち(マイクロバイオーム)なのである。
決して細胞は「パーツ」でも「道具」でもないのだ。
生命の主体である。
そして私というコロニーを操っている。




だから、小さな生命に操られている私たちは一生懸命に炭水化物食べる。



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