Suicide Leaksを設立、死ぬのは逃避ではない、攻撃なのだ。

自殺は、自分がいかに深く傷つけられたかを訴えるものである。
現実からの逃避でも、弱いからでもない。

切腹を論考している研究の中で、自殺の方法は民族で違うという事を読んだ事がある。

中国では切腹という方法はほとんどみあたられないそうである。

唯一、妊娠していると誹謗された女性がが誹謗している男の家の門に自分の内臓を叩きつけて死ぬ描写があるそうだ。
壮絶である。


テロはという形をとったり、焼身自殺を好む民族もある。
アメリカ人は銃を乱射するのがお好みである。


日本でよく見られる「無関係の人殺して刑務所に入るパターン」は親に対する憎しみを晴らすためだ。
家族の不祥事で親が責任を感じるという日本的連帯主義であろう。




子供が死んだ時に、誰のどんな言葉で自分は死を選んだのかということを綿密な言葉にして、ネットで公開すればいいのにといつも思う。

ネットで絶対消せないところにオープンして死んでいく子供たちの恨みを発信してやりたい。


このサイトは読むのが辛い。
僕は教師の責任だと思っている。
そして教師が無責任になったのは、数年で学校を移るという制度が問題なのである。
自治体の単位で教員を採用すればいいのである。
そしてその自治体に住むことを義務つける。

年取って、その土地で生き続けなければならない
いい加減な事したら、一生言われ続ける。
そうすれば、知らん顔していれはしない。
組織の影に隠れて無責任な事をするのは行政に限る事はないのだが...........

過労死やパワハラで死を選ぶ人も多い。
共に生きていた時代には見えなかった事であろうか。






まあ、子供に限らないのだが.................。



僕は今日も悪夢を見る。


まあ、夢で済んでいる間はいい事にしよう。




永平寺で贖った御朱印帳に母の菩提寺の和尚様が書いていただけた。



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