「今日の食事が死に方を決める 明日の食事が生き方を決める。」(7) 嗜好品は「必須な食事」を追い出す

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「必須な食事」とは、その人の体内で必要な「食事」(栄養素とは言いたくないね)を総称するものである。
この「必須」と言う言葉が曲者である。僕もずいぶん「たぶらか(騙し、隠蔽)」された。

「必須」と言う修飾語は、一般的に栄養学では「自分の身体で作ることの出来ないアミノ酸脂肪酸を指す。
僕は「自分自身の身体に対して必要な食べ物」と言う意味で使う。

よく聞くオメガ6とか3とか言われる脂肪酸は、植物しか作れないなどと言ってトマトジュースにオリーブオイル入れて飲んだりさせるが、実際には私達の食べる「生命」が細胞の中で使っている。
アミノ酸もそうである。

「商品化された食事」は、こういった要素さえも別に売りつけようとするのである。


しかし、問題は、その人にとって「必須」な食べ物は何かということである。
そして、本当の問題は、「いかにして何が必要か」ということを見つけるかである。
血液検査でもつけようとするのは医学の道である。

僕は25年間その道を信じてきた。もう済んじるつもりはない。






一つには「美味しい」と感じるものである。
美味しさとは過去の経験から「細胞とマイクロバイオーム」が必要とするものをコロニーに取り入れるためのコロニーに対しての「餌」である。
その餌で、意識は操縦される。

嗜好品がこの感覚を邪魔をする。細胞は、とにかく「ブドウ糖」が好きなのである。何よりも好むのである。私という「細胞とマイクロバイオームのコロニー」を操りブドウ糖を得ようとする。だから炭水化物の魅力に抗うことは出来ない。(もう一つはセーフティではないセックスである)。

「炭水化物の甘さ」も、私というコロニーに対しての「餌」なのである。そして何よりも強力である。




細胞は「身体」を知らない。自分が欲しいものを、「身体というコロニー」を操り得ようとしているだけなのである。
癌になろうと、脳溢血で死のうと、気にはかけない(知らない)のだ。




では、どんな食事が自分にとって最適にチューンングされた食事なのだろうか?
それは誰かに決めてもらうものだろうか?


【 必須な食事とは何か 】

生命の主体である細胞が死んでいくと、コロニーとしての社会は崩壊する。
それを防ぐために「宗教・家庭」において様々な「制約・タブー・規範・法律・神話」に災厄を記述した。
そしてその災厄を逃れるすべも、「非文字であるレシピ」で記憶した。ー>ラムネ氏のこと参照


つまり、細胞の求めに操られることは身体の災厄が訪れる可能性が高いのである。
それを防ぐために家庭や宗教は私達を強制するのである。
強制とシェルターは同じものなのである。

しかし、問題は環境が常に変わるということである。
伝承や神話に記載されたルールは環境の変化に対応できない。
自由を求める心は新たなるルールを求める。
安吾の言う所の堕落である。
彼は言っている。
堕ちるところまで落ちよ、そして、それ以上堕ちることの出来ないところに人の真実があるのだ。





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