「ラングとパロール」(1) かつて家族は「守り」そして「侵襲」する。そして「共に生」きていた。

人は生物学上の両親から生まれる。
生きるためには「群れ」の一員であることが必要である。
「人の群れ」の最小単位は「家族」と呼ばれる。

そしてヒトは「自分の家族体験」を通じて「コミュニティのルール」を学ぶ。
言語学的には、「パロール」を通じて「ラング」の存在を想像するのだ。
「ラング」というものがどこか(石版に刻まれた十戒のごとく)にあるわけではない。それは、DNAに記載された情報が各細胞の振る舞いを決めるプロトコルであるのと同じである。プロトコルは外部からの刺激に対しての「ふるまいのルール」の集大成であり、全体の設計図ではない。全体の設計図でないおかげで、様々な拡張や変形が行う余地が生まれる。

新たなる振る舞い(プロトコル)は、外界からのプレシャーに打ち勝とうとして自分が変わる事で生まれる。その変化のプロセスは「ウイルスや他の生物との共生、DNA組み換えによるタンパク質の置き換え・追加・変更」によって起こるのである。

「コミュニティにおける人の振る舞い」と「身体(というコロニー)における細胞(マイクロバイオーム)の振る舞い」は酷似している。



家族に罰せられることで法律の存在を想像する。
愛されることで、人を愛することを学ぶ。
イジメられることでイジメ方を学ぶ。

しかし、重要なことは、家族は大きな影響力を持つコミュニティではあるが、全てでも絶対でもないという事である。家族以外のコミュニティでも学ぶということを忘れてはならない。また、体験の中には「観察」というプロセスも入る。家族が外部から「侵襲」されていることを見て学ぶことも多い。



やがて、自分がされたように「他人を支配すること」の練習を始める。
この時期は「反抗期」と呼ばれる。

ここからが、問題である。

家業を持ち、複数世代でともに生きていたコミュニティではここ以下の流れ(循環と再生)が起こる。

しかし、現在の社会ではこの流れは稀である。

あらゆる問題の根が、ここにある。

そして、経験を積むことで、世代が変わる。
自分が家族の長となり、そのコミュニティを守りより大きな利益をもたらそうとする。

同時に子供が生まれ、新たな構成員として、またその家庭の新入社員として教育を受ける。

かつての「長」は、引退して、死んでいく。


この最後のパートがすっぽりと消えてしまっているのである。
そのために様々なサービスを行政は担う必要が出てきたのである。
しかし、「行政」と言う仕掛けからは、すっぽりと大事な部分が抜け落ちてしまったのである。
「教育・政治・医療(生活習慣病)・介護」みんな、一つながりの変化の流れで説明できる。






グローバリズムは「家業」持たないという「家」の社会的な構造の変化を生んだ。
家と仕事が分離されたのである。


このことはなかなか理解しにくい。50年前は当たり前だった社会の形が大きく変わった。

小規模の商店の衰退、卸問屋の消滅、小規模専業農家の消滅。
そして、商品(素材としての商品である)バリエーションが消えた。

同時に、地方での中小企業が生まれだしていく、しかし、海外に企業は生産拠点を移す。

当然、親と子は同じ仕事に就かない。関係性も、メンタリティも大きく変化していく。




僕は3年父と同じ工場で働いたが、この経験は大きい。当時は苦痛であったのだが........。





かつての「(比較的)閉じられた経済」の中では、「循環して再生する家族」とでも言うべきコミュニティ(利益を共通にする人の集まり)が存在した。

しかし、グローバル化と表現される経済活動の広範囲の開放化は大きく「家族」の形を変えた。






注:
ラングとパロールに関して
ラングとパロールと言う概念は、20世紀の哲学を変えたと言われる。
僕もまさにそうなのだろうと思う。
文化人類学的な技法をもった言語研究の進展は、社会の構造分析にも大きな影響を与えた。
道徳<−>法律、本能<−>理性、自由<−>宗教 と言った二項対立はいずれも「ラングとパロール」と言う概念に修練される。

パロールはそれぞれの関係性の中で特別な意味を持つ。そして共通の体験を持った集団のパロールは変わる。
と言うよりも、共通の体験(=共通の価値)を持っているかどうかを私達はパロールを通じて知る。
お国言葉効果である。

僕は、毎年国体の開催県を回る。話をしていつも「方言が出ないね」と言われる。
そんな時、自分がどこに属しているのか考えさせられる。




「コミュニティにおける人の振る舞い」と「身体における細胞の振る舞い」は酷似している。
複雑系において相互に影響を与え合いながら変わっていくコミュニティのモデルはあるような気がする。ネットにおいて影響を与え合う、OSやハードウエアの変遷を考えると納得がいく。より多くの収益を上げたいという共通のルールのもとで変化は続いていく。複雑系の研究者に未来の予測が可能だと言う連中がいるが、僕は悲観的だ。円周率をいかに計算しても同じ数字の配列は現れない。未来を予測するのは過去(今の瞬間)を変数にして関数を走らせることである。いかに今の瞬間を上手く捕まえても、見える未来はマクロで見た類似点でしかない。ミクロでの正確な位置はわからない。
そしてそれでは意味がない。

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