田中彩子さんって素敵だ。しかし、どうして「日本に誇られ」なければならないのだ?

ニューズウイークって僕大好き。
色々とトンデモな医学やサイエンスの記事もあるが、他のメディアとはちょっと視点のあり方が違うなと思うことが多い。
->この記事にも泣かせられた。


田中彩子さんって初めて知ったのだかど、この記事には、ちょっと泣けた。



しかし、youtubeのタイトル見ると、みんな「日本が誇る」となっているではないか。
これには呆れ返る。

彼女は「日本」と言う看板で商売しているわけではないのだから、日本に恩義があるわけではない。
記事を読むと分かるが、一人孤独の中で世界と戦ったのである。

しかし、この「日本」と言うやつは海外で成功すると便乗しようとする。嫌なやつだ。







この記事の中を見ても、「日本という独特の文化」と言う表現が出てくるが、この表現は嫌い。
世界は違いすぎるのだから、「独特でない文化」はどこにもない。
なぜこんな表現は生まれるのだろうか?
この記事を書いたのは、フランスに在住しているとなっている。
おそらく、日常的に自分が異なっていると感じ続けているのだろう。それは辛いことである。


しかし、僕は生まれた「ここ」にいながら自分が違い続けていることを感じている。
「自分の居場所」というのは、多くの文学の中で語られる主題である。
何者にも強制されず、誰かを支配することもない場所のことである。
そこには、過去の苦悩も未来の不安もない。








何も話さなくとも自分を類推してもらえる環境(家)は安心する。
「幸運な病」以来、家族というものを考えている。

家族というのは「互いを肯定する」ことで成り立つコミュニティだと考えてみる。
しかし、家族というのは「強制と支配」のコミュニティでもある。

例えば、家族の誰かが何かを望んだ時を考えよう。「その欲望は理解できるが、我慢することが将来的なプラスがある。」場合、その行為を禁止するのは当然である。家族は自分の延長なのだからアタリマエのことである。重要なのは、その人と「共に生きる」という視点である。自分のこととして考えることが出来るかという事である。


例えば、ドラッグのディーラーは家族にはドラッグを売らない。その嗜好品がどの様に人生を破壊するかを知っているからである。しかし、家族でない人間には売る。僕の友人は、自分の父親(随分年でほぼ寝たきりになっていた)が医師に胃瘻を勧められた時に、「自分ならしてもらいますか?」と医師に聞いたそうである。「しない」と医師は答えたのでしなかったそうである。しかし、正直な医師もいたものだ




「承認要求」をなぜ僕らは必要としているのだろうか?
ネットでは「いいね」を欲しがるし、誰かに求められたがる。
僕のブログやyoutubeなどもその最たるものである(笑)。
家族の形が変わったことに起因する「災厄」の形であると感じられる。


2016年に母を失ったことと深く結びついていると僕は感じている。
どんな状態でも、まるまる肯定してくれた母を失ったことは大きな空洞ができた。
般若心経を写経し始めたこともきっと繋がりがある。
宗教は意味がないと思っていたが、そんなことはない。


自分が感じていることを「話して、承認してもらうこと」これこそがナラティブの基本である。
「幸運な病」の中では治癒コミュニティという表現であった。


次の本の主題である。







田中彩子さんの素(す)の声が可愛くてびっくりした。
コロラトゥーラ・ソプラノよりもそちらのほうが衝撃であった。






ニューズウイークから転載
世界が絶賛するソリスト田中彩子に学ぶ「世界で輝く」秘訣
2018年08月27日(月)17時20分
西川彩奈(フランス在住ジャーナリスト)

ウィーン在住、コロラトゥーラ・ソプラノ歌手の田中彩子氏 Photo:J-Two

<「人生の中でそう聴けることのない素晴らしい声」と称賛を受ける、ウィーン在住コロラトゥーラ・ソプラノ歌手の田中彩子氏。10代から「音楽の都」で闘ってきた彼女に、「世界で勝つ」ための秘訣を聞いた>

8月下旬のパリ、ルーブル美術館の敷地内で開催されたコンサート。プレゼンターを務めた作家、辻仁成氏に「本当に素晴らしい声の持ち主」と紹介されて登場したのが、オーストリア・ウィーン在住のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手の田中彩子氏だ。コロラトゥーラとは、一般的なソプラノと比べると楽器のような音色や鳥の鳴き声に近く、高音域を得意とする種類の声のこと。そんな彼女の華麗な歌声がルーブルの一室で響き渡り、観客からは厚い拍手が沸き起こった。今回「ニューズウィーク日本版 for WOMAN」は、パリで田中氏に話を伺った。

歌の技術がほぼゼロの状態からクラシック音楽の都ウィーンに単身渡り、精神的にも金銭的にも厳しい状況を乗り越え、栄光を掴んだ彼女の道のりとは?

歌を始めたきっかけは「不幸中の幸い」
田中彩子は、ピアニストを目指し3歳から練習を続けてきた。しかし、若くして方向転換を強いられる。高校時代に、手が小さく一オクターブに届かず、ピアノの道を諦めることになったのだ。音楽以外の道を考えられなかった田中が選んだのが、楽器がなくてもすぐに試せる「歌」だった。不幸中の幸い、歌の先生に「高い音まで出せる珍しい声」と褒められ、そのまま歌の道に進んだ。

その半年後、先生の誘いで音大生に混じり、ついて行った研修旅行先のウィーンにて現地オペラ歌手のレッスンを受けた際に「本気でヨーロッパでオペラ歌手になりたいのなら、今すぐウィーンに来なさい。あなたにはその可能性がある」と留学を薦められる。導かれるように田中はウィーンに渡った。

ウィーンに着くと、目から見える情景、音、空気――、クラシック音楽を生んだ風景を目の当たりにし、受けた衝撃は今でも忘れられないという。

ウィーンで感じた「どん底」と、成功

ウィーン2大コンサートホールの一つ、ウィーン・コンツェルトハウスで公演する田中氏 Photo:J-Two

こうしてウィーンで生活を始めた田中は、日々レッスンを重ねていた。しかし、すべてが新鮮だった2、3年目が過ぎ、4年目に差し掛かった頃、「どん底」に陥ったという。

「今までで、一番不安定な時期でした。日本の友達はみんな就職していくなか、自分は紙に書けるものが何もないという焦燥感。今まで4年間ウィーンでやってきたことは、目に見える成果がない。両親には4年間だけ金銭面でサポートを受けていたけれど、それが終わったら、自分は今、ウィーンで生きていけるのだろうかという不安。ビザにおいても、許可がなければ自分はここにいられない存在という事実を、排他的に感じてしまって。ホームシックも重なり、精神的に疲労困憊していました」

精神と声は直結している。時を同じくして、欧州で闘っていく上で田中の唯一の武器であった、高い声が出なくなってしまった。

そこで田中は、小さな頃に見た「魔女の宅急便」のある一場面を思い出した。魔女として一番の特技である「飛ぶこと」ができなくなった主人公キキが、飛ぶことをやめたシーンだ。

「一度、音楽からキッパリ離れることにしました。あらゆる手段を試したけど、高い声が出ない。なら、もう考えない。音楽も聴かない、ピアノも弾かない、歌わない、と決めたんです」

リセットするために、田中は凝った料理を作る、語学を勉強する、ナイトクラブで朝まで踊るなど、普段しないことをして、他の同世代の友達たちのように思いっきり遊びを満喫した。

「いかに自分の生活が、音楽を中心に回っていたかに気付きました。声のために食事や睡眠の制限をし、まったく遊びにも出なかった。歌のためにストイックになることは悪いことではないし、むしろ今でも成功のためにそれは重要なことだとは思っているけれど、当時は自分で自分にプレッシャーを与えすぎて、窮屈になっていたんですよね。『好き。楽しい』という根本の、一番大切な想いを見失っていました。そこで一度すっかり離れてみたときに『あ、やっぱり好き。歌いたい』と思って。その時、自分の中で歌うことを職業として生きていくことに迷いがなくなりました」

再び新たな気持ちでゆっくりと練習を重ねていくうちに、田中の本来の声が戻った。その数か月後初めての国際コンクールを受けた際にスカウトをうけ、22歳の時にスイス・ベルンの州立歌劇場において『フィガロの結婚』で日本人初、且つ最年少のソリスト・デビューが決まった。

「何か行動をするときに、『なぜこれをするのか』と意識してやるのとやらないのとでは、結果が変わってくると思います。つい日常的になんとなく行動してしまいがちだけれど、『私はこれが好き。だからやる』と改めて自分で認識して行動することは、とても大事なことだと思うのです」

晴れてデビューを果たした田中だが、クラシック音楽業界は、1回デビューしても、次々と仕事が舞い込む世界ではない。金銭的にも厳しい時があったそうだ。

「歌の仕事は、何でも片っ端から受けました。それでも生活が苦しくて音楽以外のバイトもしてみましたが、私は器用ではないので上手くいかず、とにかく1日の時間とエネルギーはすべて歌に費やしたかった。だから、食事はジャガイモだけとか、財布を開けると5ユーロ(約640円)しかない、という日々も続きました。でも、声が出なくなった頃の不安と比べれば、金銭面の不安は平気。音楽さえ順調であれば、何とか生きていけるという不思議な自信がありました」

その後、ロンドン・ロイヤルフィルハーモニーとの定期公演やウィーン・コンツェルトハウス、南米最高峰コンサートホールCCKでの公演にてベスト初演作品賞を貰うなど、田中はどんどんキャリアを積み上げ、スイスで歌った際は「人生の中でそう聞けることのない素晴らしい声」と絶賛される。そんな田中が成功への階段を上っていった秘訣は、「全力投球」だったという。

「どんなコンサートでも、『今日で歌手人生が終わっても後悔しない」と思えるくらい、その時に出せる力をすべて出し切るようにしています。時には気を抜いてしまいそうなときもありますが、後で後悔するのは決まって自分。どんな時でも全力投球できるようにコンディションに気を付けています」

クラシックの本場ウィーンで、「自分の色」の確立
ヨーロッパで生まれたクラシック音楽を日本人が歌うことは、歌舞伎を外国人が演じるのと似ているという。容姿や言語、動作もまったく違う東洋人の歌手が、舞台で違和感を持たれてはいけない。かといって、欧米人のマネをすればいいというものでもない。

世界中からトップが集まるウィーンのクラシック音楽界で、日本人として田中はどのように「自分の色」を確立していったのか。

「最初の頃は、いかに欧米人に馴染めるかということに集中していました。でも、それだと東洋人の私を選ぶ必要がない。だから日本人として、どう自分を活かせるか考えていました」

「まず、欧米人の強みを分析しました。例えば豪快で、感情を出すのが上手。逆に私は、柔らかさ、繊細さは出せるかもしれない。自分ができること・できないことを紙に明確に書きだしました」

さらに、田中はこう続ける。

「なんでもやろうとすると、平均になる。できないことは置いておき、『これは負けない!』という強みを伸ばすことが、世界で闘う上で一番大事だと思っています。どんな人でも、長所も短所もあって当たり前。そう考えると、自由になりました」

例えば、田中は舞台上で「指の動きがキレイだ」と言われた際、それを伸ばすために、着付けや日本舞踊家などの美しい所作を観察して取り入れ、舞台上で実践した。

「日本人女性は周囲をドキっとさせてしまう仕草など、特別な色気があると思います。日本の白黒映画の女優さんや、歌舞伎俳優の女形の仕草は、特に参考にしています」

「欧米人は動きをもっと大きくして『見せよう』とするのですが、私はもっと小さくして『見てもらおう』とする。正反対のことをしています」

無理に欧米人になることにこだわらず、日本という独特な文化で育った「自分らしさ」を伸ばす――。それが自信に繋がったようだ。

「天使の歌声」が生まれるまで...

CD「華麗なるコロラトゥーラ」、「ウィーンの調べ」も絶賛発売中 Photo:J-Two

「天使の歌声」と敬称される田中の歌声は、いかに創り出されるのか。彼女は、ウィーンの森をよく散歩し、自然の音を聴きにいくという。

「私の歌声は『鳥の鳴き声』に近いと言われいます。鳥の声は本当に美しい。そんな声を自然に私も出せるよう、森の中にずっと座って鳥の鳴き声を聞いています。

それに多くのクラシック音楽は、もともと自然の音からインスピレーションを得ているものも多い。葉っぱがザワザワと風に揺られる音、水滴がポタポタと滴る音など、集中して耳を澄ましています」

また、歌詞のなかの「言葉」を理解することも重要だ。今年の9月と10月には日本でリサイタルツアーが開催される。「愛しのコロラトゥーラ」をテーマにしている今回は、「愛」について理解を深めているという。

「『愛』といっても異性間だけじゃなく、家族愛、友達への愛、一般的に神様に対しての愛情もある。それに『好き』という言葉も、情熱的に伝えている場合もあれば、叶わない恋を想っているもの、過去の恋を偲んでいる場合もある。様々な可能性を考えて歌うようにしています」

音楽に真摯に向き合ってきた田中だが、そんな彼女の原動力とは?

「音楽は現実から離れた、別世界を提供してくれる。子供の頃学校で嫌なことがあっても、ピアノを弾くことで夢を見ることができた。だから、私もそういった『別世界』を提供できるよう、貢献していきたいです。

現在、アルゼンチンの貧困の中で育った子供たちとコンサートをしているんですけど、希望を与えることのできる音楽の可能性に改めて感動しました。だから今後も、このような企画に関わって、まだまだ未知な『音楽の力』に出会っていきたいです!」

パリからアルゼンチンに渡り、現在ブエノス・アイレスにてコンサートツアー中の田中。

「アルゼンチン政府が支援する、エル・システマと同様のプログラムで作られた国立青少年オーケストラとの共演のため来ています。エル・システマとは、虐待されたり犯罪に手を染めてしまいやすいような、極度に貧しい環境にいる子供たちに、音楽教育を施すことにより新しい道を与え救うためにベネズエラで確立し、今世界中の貧困層の子供たちに新しい希望を与えています。

そのような環境から這い上がって結成したこの国立青少年オーケストラは、通常では考えられないような生活環境の中から、たったひとつの音楽という希望を見いだし、舞台に立っている間は日常の日々を忘れ、貧富の差がなくなることを願いながら一緒に音楽を演奏しています。

演奏側も見ている側も勇気の出るこの力強い瞬間を感じ、音楽の可能性に改めて感動する――。今後もこのような『音楽の力』に出会って行きたいです」

◇ ◇ ◇


僕の大好きなアイザック・アシモフさんの小説に、地球外の惑星の重力に最適化された身体を持ったロボットのお話があったような気がする。何という題名だったろうか?随分、彼の本はあったのだがみんなどこかにしまってあるのでわからない。



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