「循環して再生する家族」というシェルター (1) 個人を縛り強制する装置としての家族

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「家族」という名前で僕らは経済の最小単位を構成している人のコミュニティを呼んでいる。
そして、「家族」というものは変わることのないものと考えている。確かに、「人の作り出す構造」としての家族は変化しないと思いたいのは分かる。僕は「ガチガチの構造主義者(笑)」なので「家族という構造」は時代場所にかかわらず同じであると考えたい。

しかし、同時に環境というパラメータの変化で驚くほどのバリエーションを生む。

そのバリエーションをあまねく説明できる仮説こそが科学だと思う。
無論「今という時代の制約はあるだろうが多くの現象を説明したいと思う。



生活習慣病」はこのシェルターが失われたためである。
「家庭」は私達を縛り強制するものであった。私達は喜んでこのシェルターを破壊したのだ。

そして、結論はもはや物には戻れない。
いま、僕に見えているものを多くの人と共有したい。
僕には解決することは出来ない。
しかし、誰かが道を見つけることは出来るかも知れない。


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