好き嫌いは、あなたを自分らしくする大事なもの。

昨日のブログを書いていてふと思った。

僕は空気を読んでヒトのためになにかするのは嫌い。
それは、自分から他人の言いなりになることだ。

挑戦すること無く、長いものに巻かれる人生はあまり嬉しいものではない。

人生は『あたって砕ける』のが一番




今の私達の食事は、「自由主義市場が提供する食事」である。
毎食を素材から自分で作っている僕のような存在は稀であろう。
みんな忙しくて「そんな事」してられないと言う。



しかし、「自由主義市場が提供する食事」は利益えお上げrことが目的である。
とにかく売れるものでなければ企業は成立し得ない。

もちろん、一食2000円かけられる金持ち(笑)はそれなりのものが食べることが出来る(可能性がある)。
しかし、ワンコイン(500円のこと)で満足しようとすると、難しい。

食品の(小売店への)卸値は30%〜40%である。
売れ残って廃棄すると思えば仕方がないものだ。
そうすると500円の弁当は150円〜200円で作られていることになる。もちろん作るメーカー側での人件費が入っている。
そして誰にでも受け入れられるものでなければならない。

炭水化物は誰でも好む。僕も大好きである。
こういう物を「スーパー嗜好品・メジャーな嗜好品」という(笑)。
上手く仕入れて陳列すれば売れ残ることはない。

だからあの値段で商品として成り立つのである。
例えば、塩辛やモツ煮は嗜好品である。飲み屋さんのメニューにあると、僕はどうしても頼んでしまう。しかし、好まない人もいる(妻は喜んでは食べない)。だから塩辛を棚いっぱいに並べるお店はない。好きな人はいるかも知れないが、誰もが買うということはない。(マイナーな嗜好品)

乾燥させることで賞味期限が伸びることも商品として重要である。
乾燥麺はまさに、「値段」と「嗜好」、そしてメーカーでの「製造コスト」全てにおいて、最高である。
まさに札束すっているようなものである。





しかし、炭水化物は決定的な問題がある。
それだけで、満腹になってしまうのである。

私達は「食事の栄養価で満腹になっているのではない」ということである。

つまり、トラックに荷物を積むときは、必要な荷物をみんな積んだか確認してから出発する。
食事のときは、必要な栄養素みんなとったところで食事をやめるわけではないのだ。

満腹を感じた時に食事をやめる。



ここに、問題の本質がある。



忙しくて、「自由主義市場の提供する食事」に頼らざるを得ないことはわかる。
しかし、「忙しいから癌になってもいい」のだろうか?
料理作りは手間がかかるから「脳溢血になってもいい」ですか?





「お医者様のいい食事」を「自由主義市場の提供する食事」の中から「選ぶ」ことでは、生活習慣病という災厄からは逃れられない。
お医者様がご信託くださる「食事」を食べていて「生活習慣病」になったらそれは僕が悪いのですか?





まあ、生徒が馬鹿な責任を先生が取る必要はない
しかし、「その生徒の人生にあった教え方が出来ない先生」には恥ずかしいと思ってもらいたい。
そう思えなければ、いい先生にはなれない。





次のスタディのネタである。

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