気持ち悪いと感じるのは駄目なのか? LGBTQの問題を巡って(2) 参加を強制されるコミュニティの構造

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いじめの問題を考えている時に、子供に言われた。

「嫌なヤツを無視するのは悪いことなのか?」「みんなと仲良くしなければならないのか?」
実に的を得ている。

学校(特に義務教育で顕著)、刑務所、介護施設、病院」は共通の特徴がある。

強制的に入れられる、抜けることが出来ない。つまり、その人の意志にかかわらず、そこで生きることが強制されるのである。

そしてそのコミュニティではトップ(校長・刑務所長=>先生や刑務官や介護人)の言うことに従わなければならないのである。

僕は糖尿病という「在宅の病院=医療(?)」の権力関係に背き、世間から呆れられた(ている)。みな、医療という権威に背を向けた僕には天罰が下ればいいとムネワクなのである(笑)。ー>こちらのコメント欄を見て頂戴。病気と戦っているのか世間と戦っているのかわからなくなってくる。


そして家庭や町内会、PTA、自治体、国家と言った枠組みも簡単に抜け出すことが出来ない。
それでも少しだけ自由がある(笑)。そして全ての人にとっての「現実」は苦痛に満ちている。たとえ自由に生きていると思っていても、結局は「不確定な何か」に怯えながら生きることになる。
お百姓さんは天気に左右され、会社員は経営者の気まぐれや売上に、パートナーのお金で生活する人(主婦やオンリーさん)はパートナーの満足に茶通される。
今はブイブイいわせている経営者や政治家や地域の小悪人にしてもやがて自分も終わることをわかっている(誰かを追い落として今の自分がいるのだから)。
しかし、PTAではひどいめにあった。


自分自身を考えてみれば、嫌な奴とは付き合わないし、クソ野郎だから絶対に話をしないような輩もいる。
誰とでも仲良くなどというのは無理な注文である。

自分の属するコミュニティには、自分と同じ価値観の人間を集めたいと思うのは当たり前だ。
これを否定してはならない。「人権意識が足りない」などと言ったところで、希少な価値を奪い合う現実に向き合った時、誰かを蹴落とさなければならないのだ。共に戦わなければならない時に「ズルして楽するやつ」を僕は許さない。





問題は、「行政(政治家は立法であるが.....税金の使い道を決める)」と言う非常に強大な権力(金)を持った人が言っていることである。
そして政治家は選挙民を写す鏡である。

私達は、「国」という行政の枠組みを、自由に選ぶことが出来ない。
生まれ育ち、様々な経緯があり、父と母が愛した土地は、自分自身でもあるのだ。
その「ふるさと」と「国」という行政の枠組みは否応なく重なり合う。
そして国という行政の枠組みの価値の構成と「私」は常に一致する訳ではない。
この問題の深層には「共に生きる他ないコミュニティ」において、「相容れないないものを感じる」事はどんな意味があるのかということである。











また、この朝日の記事には「人権意識がない発言」と言う言葉が使われている。
僕はこれが気に入らない。

言葉に出さなかったら、良いのか?
心の中で思って、ジクジクと意地悪するのは良いのか?
KKK団は昼間は普通のオヤジが、夜中に覆面して家に火を放ち奇妙な果実を実らせたではないか。






「嫌だという権利がある」と言う言葉もそのとおりであるが、もっと言い換えれば「嫌だということを、否定しないで相手に伝える方法」を考えなければならない。

LGBTQは基本的に誰とセックスをするのかということである。そこには大きな問題がある。
これは、真逆を考えればいい(笑)。

自分が「相手とセックスしたいということを伝える方法」はあるのだろうか?と言う問いかけと同じである。
セクハラ・パワハラは相手とセックスしたいと伝えて、否定されたのである。
何らかの個人的な魅力以外の「価値」を使ったためにそれは卑怯者である。





多くの社会では「小さい子供とセックスをしたい」と言う欲望は社会では容認されていない。では、そう感じる人を僕らはどう扱えばいいのだろうか?治療か投獄か?自分が逸脱しているときどう考えればいいのだろうか?
また老人とセックスをしたいと言う欲望も社会では困ったなあと言う反応を生む(こちらをご覧ください。)。





「人権意識」というのは弱者(少数者)を守ることではない。
弱者は常にひどい目に合わせられる。これは当たり前のことである。
現実の社会は少ないリソースの取り合いである。弱者というのは、リソースの奪い合いに破れているから弱者なのだ。

そして多くの場合、それは見えてこない。
「自分は差別主義者ではない』と思うのは当たり前である。自分が差別しているとは思っていないからである。
そして自分は少数者ではないと自身を持って思うのである。







「人権意識」というのは自分が少数者になった時にひどい目に合わせられない為の保証である。
そして、年を取り、共に生きている人々が鬼門に入り、自分を知っている人もコミュニティも消えた時、誰でも少数者になる。




そのhとが気持ち悪いと感じることは何らかの意味があるのだから、感じることを糾弾してはならない。
逆にいえば、他人が気持ち悪いという権利を保証することは重要である。






問題は価値観の異なった人々がともに生きることは可能かという問題である。









アサヒ・コムより

LGBT、特命委員会で稲田氏訴えたが 自民の理解遠く
二階堂友紀2018年8月3日08時47分

 自民党杉田水脈衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張した問題。LGBT(性的少数者)の人権意識を欠いた主張はなぜ起きたのか。

 自民党には、夫婦と複数の子どもがいる家族の形を「伝統的な家族」として重んじる議員が多い。選択的夫婦別姓にさえ「家族の崩壊につながる」との反発があり、同性愛者の権利擁護には否定的だった。

静観一転、首相に飛び火懸念「杉田水脈氏はチルドレン」
杉田水脈議員に自民党が指導 「配慮欠く」と異例の見解
 15年、東京都渋谷区の同性パートナー公認制度をめぐって開かれた「家族の絆を守る特命委員会」では、「考えるだけでぞっとする」「嫌だと言う権利もある」と差別発言が続いた。

 だが、性的少数者の権利保護を…




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こちらから。

奇妙な果実(Strange Fruit:歌詞)

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

奇妙な果実(Strange Fruit:訳詞)

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、
膨らんだ眼と歪んだ口、
マグノリアモクレン)の香りは甘くて新鮮
すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある
雨に曝され、風に煽られ
日差しに腐り、木々に落ちる
奇妙で惨めな作物がここにある。